通い介護の限界

訪問調査から1カ月ちょっと経ち、ようやく母親は要介護1と認定された。骨折から5日で退院した母親は自宅に戻り、週に3日のデイケアとヘルパーを利用し始めた。デイケアもヘルパーもない日、週に2〜3日ほどは増田さんが実家に通い、買物や家事を担う。実家に行かない日はアパレル系の会社で9時間ほどパートをしていた。

「母の本音は『他人に何もしてもらわなくていい』と言っていましたが、外面がいいので、介護のスタッフに会えばにこやかに対応していたようです。でも母の認知症は緩やかに進行し、骨折から5〜6年ほど経つ頃には、だんだんデイケアの拒否は強くなり、具合が悪くなったフリをしたり、介護のスタッフにも怒ったりするようになっていきました」

主治医から「たんぱく質を摂るように」と言われていたため、増田さんが肉類のおかずを作っておいても「後で食べよう」としてもったいぶったり、お菓子や果物、すぐに食べられるおにぎりばかり食べているうちに傷ませて廃棄したりすることがしばしば。

以前、認知症のひとつである「前頭側頭葉変性症」と診断されたのを機に、母親は納得の上で免許を返納し、母親の車は増田さんが乗るようになったにもかかわらず、「家に車がない、誰かに盗られた」「車を返して」などと言い出したり、貯金通帳をどこかにしまい込んで忘れてしまったりするため、増田さんが預かっていたら、「貯金通帳が見つからない、どこかで落としてきた」と騒ぎ出す。

頭部のMRI画像
写真=iStock.com/Popartic
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不安感が強くなり、増田さんが帰ろうとすると20〜30分引き止められることが多くなり、帰宅した後も、「どうして勝手に帰ったの?」と怒って電話をかけてくることも増えた。

もともとメニエール病があった母親は、頻繫にめまいを訴えていたが、よろけることが増え、歩く歩幅が小さくなり、躓きやすくなってきていた。

2019年に母親が78歳になった頃、増田さんは自身の更年期障害や介護のストレスなどが重なったせいか、動悸やめまいの症状が強くなり、アパレル系のパートを一旦休職。しかし一向に改善しないため、そのまま退職することに決めた。

2022年1月。母親の主治医やケアマネたちに「そろそろ施設を考えたほうがいいですよ」と言われ始める。確かにここ2年ほどで、母親は動作がおぼつかなくなり、薬を正しく飲めなくなり、偏食が進んでいた。増田さんは電話で誘導して何とか対処を試みたが、母親は自分のしたいようにしか動かない。そのため「もう一人暮らしは無理」という結論に至った。

増田さんは3月頃から施設探しをスタート。併せて母親の施設費用に充てるため、実家の売却を考え始めた。