新聞記者時代も今も変わらない

「先入観にとらわれず、精一杯の配慮と支援を心がけて、自分は何者でもないんだという姿勢で関係を築こうと努める。そうすれば理解し合えるんだなと実感しました。結局、社会って、さまざまなことが異なる人と人がいろんな関係を紡ぎ上げることでつくられるものなんだなとも思いましたね」

その点は、記者でもセカンドライフに入った人でも同じだろうという。記者には、取材相手が誰であれ、その生い立ちや考え方への理解を深め、心を開いて話してもらえるよう働きかける姿勢が欠かせない。セカンドライフに入った人も、新たな環境で周囲との関係をいかに築き深めるかが肝要なのではないか――。

「偉そうなことを言いましたが、やっぱりそこが大事かなと思います。現に私のような野良犬がですね、保育学科で45歳も年下の同級生の皆さんに助けてもらえるようになって、無事に卒業できたわけですから」

原動力は「怒り」

現在気になっているテーマは、親子の無理心中や内密出産、発達障害と診断された子への保育・教育、保育士や教員による性加害。子どもを取り巻く法や支援のあり方とともに、子育て世代に対する福祉の不十分さについても取材・発信していくつもりだという。

原動力は怒りだ。

1995年ごろには、学校で授業についていけず、教師や親から無視されて犯罪に関わるようになった「非行少年」たちを取材した。犯罪に関わって矯正施設から戻っても、行くところがない。居場所を求め、暴力団員に提供されたアパートに集うようになった子どもたちも少なくなかった。

同じころ、難病で学校に通えない14歳の子どもについても記事にした。この子は週に数回、「訪問教育」という制度で自宅に来る教員とのふれあいを楽しみにしていたが、当時の制度では高校生の年齢になると、訪問教育を受けられなくなる。制度にこだわり延長を渋る役所をしつこく取材。その後、訪問期間の延長が認められた。

本来なら国が率先して子どもや親を守るべきなのに、そのための制度や仕組みはいまだに穴だらけで、予算も人手も十分に確保できていない。さまざまな不備を厳しく指摘した後、「本当に許せないし、腹が立っています」と語気を強めた。

志を持って自分の道を歩み続ける緒方さん。悠々自適の生活に興味はない。知識も経験も人脈も、記者時代と短大時代を通して培ったすべてを注ぎ込んで、子どもを守りたいという思いの実現を目指していく。

写真=岡村隆広
インタビューに答える緒方健二さん。子どもを取り巻く環境について語り始めると、手に力が入る
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