※本稿は、緒方健二『事件記者、保育士になる』(CCCメディアハウス)の一部を再編集したものです。
40年ぶりの学生生活
入学式の翌日から授業が始まりました。
午前9時に始まる1限から、午後5時50分に終わる5限までびっしりと詰まっています。同じ教室での授業はなく、わずか10分間の休憩時間にあたふたと移動します。
息抜きに一服する暇もありません。つらい。
青息吐息の当方に、すれ違う学生が「こんにちは」と丁寧に挨拶してくれます。教員と勘違いしているようです。本当の教員も同じです。そのたびに「いえ、ピカピカの新入生です」と否定するのも煩わしいので「はい、こんにちは。ご機嫌よう」と教員に成りすまして鷹揚に対応することにしました。そのうちわかるでしょう。
ちゃんとした教育機関で学ぶのは40年ぶりです。
朝から夕方まで連日びっしり詰まった授業のタイトルを眺めていると、未知の領域への関心と意欲が高まってまいります。
「乳児保育」、「保育原理」、「特別支援教育概論」、「子どもの健康と安全」……。うーん、どれも子どもを守るのに欠かせないものに違いない。
先生たちは同年輩
ひと科目は前期と後期各15回の授業で完結します。
どんな内容をどう進めるのか。成績評価はどうやってなされるのか。担当する教員はどんな人なのか。
新しいことに挑むに当たっては、できる限りたくさんの情報を集めて臨む。
新聞記者時代の鉄則に則り、短大のホームページなどでシラバスや教員の略歴を調べました。
よっしゃ、準備は万端整った。
さあ、勉強するぞ。
腕まくりして鼻息荒く乗り込んだ学び舎で、個性あふれる教員のみなさまが還暦過ぎの新入生を待ち受けていました。
保育学科の教員は当方が入学当時13人いました。教授は3人で、准教授6人と講師3人、助教1人という陣容です。
経歴書によると、多くは保育所や幼稚園、児童福祉施設で働いた経験を持っています。小学校の校長だった人もいます。
年齢は、当方と同年輩かそれ以上が大半を占めていました。
茶飲み友達が増えるかも。いえいえ、それはなりませぬ。教わる側としての矩をこえてはいけません。