殴る蹴るとなった取り調べ
勾留の最長日数は23日、その間に起訴しなければ釈放しなければならない。逮捕から1週間。自白を迫るが否認を続ける袴田さんに、本格的な拷問が始まったという。
「殺しても病気で死んだと言えばそれまでだ! 吐け、お前がやったんだろ。吐け! 死んでもいいのか」と捜査官は脅しつけ、怒鳴りつけながら、樫材の警棒で尻、太もも、二の腕を絶え間なく殴り続けた。
時を同じくして、取調室に簡易便器が持ち込まれた。取り調べ中はトイレに行かせないという構えだった。通常の神経ならば捜査官の面前で大小便の用を足せと言われてもできるものではない。大小便を我慢している腹部と臀部に警棒が容赦なく振り下ろされたのである。激痛だけではない、袴田さんは何度も失禁して糞尿にまみれるという屈辱を味わわされたと言った。
袴田さんは取り調べ状況を一つ一つ思い出してから語った。しかし、記憶はずいぶん欠落しているようだし、思い出そうにも映像が浮かばないものが多いようだった。私はただ頷きながらメモを取った。
「どうやら、殴られ、投げ飛ばされ、気を失うと、水を掛けられ、濡れタオルで顔を拭かれたらしいです。そこで気がつくと、また暴行を受けるといったことの繰り返しでした。それが断続的に朝、昼、夜、深夜と一日中続くのです。捜査官は2人または3人ひと組で私に暴行を加えてきました」
「棍棒だけではありません。平手で、あるいは拳で、顔面を殴打されました。柔道の技で何度も何度も床に投げ飛ばされました。転げると、多くの足に踏みつけられ、蹴り上げられたのです。寄ってたかって袋叩きにされたという表現のほうが当たっていると思います。ときどき非常な激しさで何かが私の頭と体にぶつかりました。何が起こっているのかわかりません。しかし痛みはほとんど感じないし、神経が麻痺したのならこの際ありがたいと思いました」
袴田さんは、たまっていた鬱憤を晴らすかのように、話し続けた。私は、自分ならば1日も持たずに暴行から逃れるために嘘の自白をするだろう。そんなことを頭の隅で考えながら聴いていた。
23日間にわたる取り調べを時系列で話していたのか、これでおしまいですが、と前置きし、「富士山が燃えているのを見たのが最後でした」と言って唇を震わせた。
「ある夜、私は涼しさを感じました。そして爽やかな風を覚えると、途端に蒸し風呂に閉じ込められるのです。もうろうとしているとまた涼風が吹き込みます。私は蒸し風呂に入ったり出たりしているのだと思いました。ひょっと気がつくと私の顔を悪魔がのぞいています。それを手で払いのけると、前方の一カ所が真っ赤になっていました。あれは富士山が燃えているのだとこの肌全体で感じました。悲しかったです。それは日本の終わりを告げているようでした。私は泣いていました。すると何者かが冷たいタオルで顔を拭いてくれました、その何者かは、あやつり人形みたいでした。何もかもが不自然で奇妙な思い出が今でも蘇ってきて、頭がおかしくなったのかと思うこのごろです」
これが、袴田さんとの最後の面接のやりとりである。