髪型や下着の色を指定する「校則」は、本当に必要なのか。福岡県の柳川高等学校理事長・校長の古賀賢さんは「時代遅れの校則は必要ない。従来の校則を無くして生徒たちが自ら校則を決められるようにしたら、学校が大きく変わった」という――。

※本稿は、古賀賢『学校を楽しくすれば日本が変わる』(祥伝社)の一部を再編集したものです。

「大人の先回り」が子供の可能性を奪う

僕が全校朝礼でしつこいくらいに「世界一」「日本一」「世界初」「日本初」を言い続けているのは、その言葉が生徒たちの刺激になると信じているからです。

また、テニス部やダンス部など、日本一という結果を出した生徒には積極的に全校生徒の前に出て、その経験や考え方を話してもらっています。絶校長よりも自分に近い存在の同級生の言葉によって、「次は自分も」となってもらえたら大成功。思い込みのフタが外れたとき、子どもたちは本人も驚くような変化を遂げます。

ノミにはすごい脚力があるのに、箱に2日間閉じ込めておくと、フタの高さまでしか跳ばなくなる……。これは前にも述べました。

この箱を「教育」や「常識」、「情報」に置き換えると、僕たち大人がよかれと思い、先回りして子どもたちの可能性を奪ってしまっているのかもしれません。また、僕たち大人も、知らず知らずのうちに自分の力の天井にフタをしてしまっているのではないでしょうか。

箱に閉じ込められたことのないノミといっしょにいると、跳べなくなったノミはすぐに自分が本当は跳べることを思い出します。箱のフタの高さなんか関係なく、高く跳ぶ。子どもたちの意識を日本一、世界一に向かわせるのも同じことです。

教室でクラスメートとおしゃべりをする高校生
写真=iStock.com/maroke
※写真はイメージです

“世界”を身近に感じてもらう

横に誰を置くのか。

毎朝、明るくハイタッチしてくる絶校長、日本一を経験した同級生、社会に出て日本一、世界一を目指している大人たち。こういった人たちを彼方にいる存在ではなく、間近で、真横にいると感じられる環境をつくること。それも学校の大きな役割です。

「自分は跳べるんだ」
「自分はこれだけできるんだ」
「自分はこんなに跳んでいいんだ」
「自分の意見を出していいんだ」
「人と違っていても、全然いいんだ」

僕は高校生活の3年間が、1人ひとりのグレートジャーニーだと思っています。

だから、柳川高校では常に世界を意識できる環境を用意しています。グローバル教育は日本の教育界にとってマストアイテムです。世界で誰も経験していない超少子高齢化に直面している日本の人口は、2048年に9913万人と1億人を割り込み、2060年には8674万人にまで減少すると見込まれています。

今後、日本の国家運営にはイギリスやアメリカのようにいろいろな国々の人の力が必要となってくるはずです。

そんな時代を生き抜く子どもたちにとって、世界は身近でなくてはいけません。そこで、僕たちは2016年にグローバル学園構想を立ち上げたわけです。

フラッグシップとして日本の学校として初めて現地のタイ人学生用の附属中学校を設立。その後、世界13カ所に事務所を設置しました。今後は全校生徒の3分の1が世界から集まる学校にしようと計画しています。