“昭和の教育観”は子供にマイナス
同じクラスに世界各国から集まってきた同級生がいること。このこと1つとってもワクワクする柳川高校の環境は、小中学生時代に備わってしまった箱のフタを取っ払っていきます。
その結果、生徒たちは大きく変わるのではなく、本来、持っている力に気づいていく。横にいる誰かの経験を自分のものにしながらグレートジャーニーを続けていくことで意識が変化し、本人が自らの可能性を広げていくのです。
しかし、日本の教育現場では子どもたちの可能性にフタをするような言葉をよく耳にします。
「おまえはだからダメなんだよー」
「ここはこうしなきゃ失敗するんだよー」
「そのやり方でうまくいったところ見たことないぞ」
現場には、ダメダメなアプローチ、マイナスなトークで、子どもたちに接している大人がたくさんいます。
特にスポーツの指導者の中には、昭和のまま教育観の更新が止まっている人が少なくありません。叱り飛ばさなきゃ「選手はピリッとしない」「精神が強くならない」「そうじゃないと根性を養えない」と。
でも、教育は子どもたちに夢を与えるものです。責めて、叱って、表面上ピリッとさせた先、18歳からも続く人生に何のプラスがあるのでしょうか。
ここで、「人は育てられたようにしか、人を育てることができない」と諦めてしまうのは簡単です。でも、まず大人側が意識を変えていきましょう。
“前にならう”必要はない
日本の教育は今、言葉の岐路に立っているように思います。例えば、学校行事での「前にならえ」。生徒を並ばせて、「気をつけ、前にならえ、休め」は、日本の学校の定番です。しかし、一斉にやみくもにする「前にならえ」は、思考停止ではないでしょうか。
この「前にならえ教育」がずっとあって、子どもたちの意識も大人のそれにならっていってしまう。前の人といっしょでいるのは楽ちんです。けれど、これからの時代、学校教育は新しいことを築き上げられる人を育てていかなければいけません。
そのためには、子どもたちが「自分を信じる力」を養える学校であることが大切です。
テレビ番組が柳川高校を取材しに来てくれたとき、「未成年の主張」というコーナーをやりました。校舎から張り出した屋根の上に立ち、集まった生徒たちが学校生活などで思うそれぞれの主張をするというコーナーです。
そこで、ある女子生徒が前に出て「先生、トイレが古いので、きれいにしてくだい!」と言うと、他の生徒たちも納得顔で肯いていました。僕はとっさに「OK、わかった!」と応え、翌日から改修の準備を開始しました。
ちょうど、「宇宙修学旅行」を発表した頃だったので、「トイレを新しくするだけじゃなくて、宇宙にしよう」と。1カ月後には、最新式のトイレ+壁紙が宇宙柄のトイレへのリフォームが完成しました。