ロングセラー「ハートランド」に見るビールの将来
――ビール類市場はどこまで縮小していくのでしょうか?
【南方】それは予測ができません。しかし、ビール類にも可能性があると、私は信じています。ただしそれは、量的な拡大ではなく、やはり価値においてです。
例えばビールの「ハートランド」。1986年発売ですが、広告宣伝を一切していないのに、ずっと売れ続けています。最大の特徴は、キリンと謳っていないこと。専用のグリーンボトルで、ラベルはなく「KIRIN」のロゴも、聖獣「麒麟」のイラストもない。ネックラベルに製造者として小さく社名が記されているだけ。キリンの製品だとわからずに購入するお客さまもいるのかもしれません。中身は当時から高い醸造技術が要求された、麦芽100%の生ビールです。
――しかも、発酵度を高く設定したドライビール(酵母が糖化液中の糖をほとんど食べて、キレのある味にする)でした。
〈翌87年発売の「スーパードライ」でアサヒがドライという名称を考え出すが、ドライビールとしての発売は「ハートランド」のほうが早かった。六本木ヒルズの建設予定地にあった古い建物2棟を改装して86年秋に開業した「ビアホール・ハートランド」でだけ供されるハウスビールとして当初は開発された。同ビアホールは前衛芸術の発信拠点でもあり、舞踏家の田中泯氏らが活動した〉
「大量生産・大量消費の終わり」を予見していた
【南方】「ハートランド」は、いまの時代にあっても斬新なビールです。高度な価値提案でした。
――開発者は稀代のヒットメーカー前田仁氏(1950年~2020年)。「ビアホール・ハートランド」の初代店長も務めた。本当は東京限定のビールとして計画したものの、当時は地域限定ビールという前例がなく社内の反対に遭い、善後策としてビアホールをゼロからつくった。
前田さんはバブルが始まる前の80年代半ば、「大量生産・大量消費の時代は終わり、心を動かす製品の時代に移る」と商品化に当たり明確に訴えていました。キリンが6割のシェアを持ち、また日本が「ジャパン・アズ・No.1」などと世界の中で絶頂を極めていた時代に、先を読んでいた。いまの時代につながるような。
〈その後、「一番搾り」や「淡麗」、「氷結」、「のどごし〈生〉」など、キリンの定番商品の大半を、プレーヤーとして、あるいは部長として前田氏は商品化した〉