キリンビールが4月に発売した新ブランド「キリンビール 晴れ風」が好調だ。当初の販売目標である430万箱から1.3倍に上方修正した。アサヒビールとしのぎを削るビール市場をどうやって勝ち抜くつもりなのか。キリンホールディングスの南方健志社長・最高執行責任者(COO)に、ジャーナリストの永井隆さんが聞いた――(前編/全2回)。
キリンホールディングスの南方健志社長・最高執行責任者(COO)
撮影=門間新弥
キリンホールディングスの南方健志社長・最高執行責任者(COO)

半年間で50カ所の社員と対話を重ねてきた

――キリンはもともとはビール会社ですが、いまは酒類、医薬、ヘルスサイエンスと3事業を展開する会社へと変貌しようとしています。社員の会社や事業に対する考え方に変化はありますか?

南方健志みなかたたけし事業構造の変化に対する社員の理解は深まっています。(3月に)社長に就任してから、これまで国内の50カ所以上をまわり、一回につき平均10人を対象に1時間半程度の対話を重ねてきました。

3つの事業は、キリングループが進めるCSV(社会と共有できる価値の創造)の考え方をベースとしています。支店に勤務するビールの営業社員が、医薬やヘルスサイエンスについて質問してくるケースは多い。他人事としてではなく、自社のこととする意識は高い。

ただし、経営側からの発信はいまだ十分ではないと考えます。3つの事業カテゴリーをまたいでの異動はいまや普通にありますし、新しい領域でチャレンジできる人が増えればと願っています。

なぜビール会社が「医薬」に進出したのか

〈キリンは、1972年から85年までビールのシェア(市場占有率・販売ベース)が6割を超えていた。しかし、73年以降は独占禁止法により、これ以上シェアを上げると会社が分割される危機に直面する。

そこで、1981年から経営の多角化に着手。84年に社長に就任した本山英世氏は医薬やエンジニアリング、バイオ、花卉、外食、スポーツクラブ運営など、多角化事業を具体化させていく。

この中で成功を収めたのが医薬。米ベンチャーと提携し、1990年には腎性(貧血治療)貧血治療薬の発売にこぎ着ける。

2024年中間期(1月~6月)におけるキリンHDの事業利益は931億円だが、医薬は411億円を占める。ちなみに、サントリーも80年代に医薬に進出したものの、撤退してしまう。

キリンにとって、医薬はビール絶頂期に独禁法の回避から始めた事業だったのに対し、ヘルスサイエンスはビール類(ビール、発泡酒、旧第3のビール)市場が縮小を続ける2019年に、主要事業と位置づけられた。ヘルスサイエンスで中核となる人の免疫機能を維持するプラズマ乳酸菌は、ビール醸造の大敵となる乳酸菌の研究から独自開発された〉