妊娠した女性を「母」と呼び、主体性を無視する言動への違和感
でも、わかりにくい差別を描くことや、それを現場に理解してもらい、共有してもらうのは簡単ではありませんでした。
中でも一番難しかったのは、第14週で女子部時代からの恩師・穂高先生が退官することになり、祝賀会で花束を渡す予定だった寅子が土壇場でそれを拒否して謝らなかったところ(※ページ1の名セリフの場面)。私は穂高という人物をすごく丁寧に描いてきていたつもりですが、放送されたときは穂高先生擁護の声が思った以上に多かったんです。基本的にネットの感想は見ないのですが、私のSNSへのご意見で「穂高先生の気持ちを察すると……」「かわいそう」みたいなコメントがきたんですね。
寅子の人生について、妊娠したとき、勝手に彼女の一人称を「母」とか「お腹の子」にしたのは穂高先生で、結局、寅子は弁護士事務所を辞めることになり、その一人称が持つストーリーを歩ませたのも穂高先生なのに、ここまで擁護されるとは思っていませんでした。もともと半々ぐらいになるかなという読みではあったんですが。
穂高は女性の味方のようだが、善意で排除するところがあった
私は穂高先生を味方でいてくれるようで根本的な部分を理解してくれていない、ちょっと古いリベラルな思想の人にありがちな「(妊婦である寅子を)変わらず保護する対象として見ている」みたいに描けたらと思っていて。それは寅子からすれば、善意で自分を排除するという状態だと思ったんですが、擁護する人が予想以上に多かったので、驚きました。
この点でも、冒頭で憲法14条を書いておいて良かったなと思いましたし、寅子が花束を渡さないと言う場面では、撮影現場に「アドリブでも絶対に謝らないでほしい」ということは伝えていました。そこで桂場が「ガキ! 何を考えているんだ」としかりつけるわけですが、やはり、あの場面ではつい謝りたくなっちゃうと思うので。