失われたものを再び創造して取り戻す

さて、カール・シュミットがしたことは取り立てて新しいことではない。失われた何かを再創造しただけだ。すなわち、顧客のことを知っている銀行。

スミス&ホーケンの旗揚げ時、ぼくはこう宣言した。

「当社は英国スタイルの園芸道具を北米の園芸愛好家向けに提供する。手で鍛造された短い柄の鍬と熊手、北米ではあまりまだなじみのない商品ラインだ。現在の金物店や園芸店の流通システムはコスト高かつ非効率だから、直販でカタログ販売する」

アメリカ人は鍬や熊手を庭仕事に使わない。ショベルを好む。ぼくたちが売るのは短い柄だが、アメリカ人は長い柄が好みだ。

庭仕事を手伝う子供
写真=iStock.com/Zinkevych
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彼らは価格が安くて大量生産され、かつ寿命の短い道具に慣れきってしまっていた。スミス&ホーケンの商品はどれも長持ちする。一生モノと言っていい。

……とはいえ、このビジネスプランがうまくいく証拠なんてものは、かけらもなかった。スミス&ホーケンがビジネスとして成り立ち、ましてや成長できるなんてものを証明できなかった。

それどころか、先行して同じような園芸道具の販売を始めた2社は倒産してしまっていた。そのうちの1社、ブルドッグ社は商標の訴訟で、敗れていた。法的には相手の会社が自分では使う気もないのに「ブルドッグ」商標を持っていた。

良質の道具は、開拓時代から第二次世界大戦までは生活の一部

最も重要な点は、アメリカの園芸愛好家たちが英国スタイルの園芸道具に興味を持ってくれるという何の証拠もなかったことだ。

ウィルキンソン、スピアー&ジャクソン、ジェックス&カテル、スタンリーといった英国の企業が北米市場に進出しようと試みたが、いずれも失敗していた。そのうちの1社など、倉庫を建設さえした。別の会社は米国の園芸道具会社を買収した。結果は出なかった。

さらに、これまでどの会社も園芸道具のカタログ通販で成功した試しがなかった。うまくいったのは、わずかに種や球根、苗といった商品だった。

金物店やガーデンセンターで買うことが当たり前の人たちに、どうやればカタログ通販で買おうという気にさせられるだろう。

「実際に道具を持ち上げたり手触りを感じたりしてから買いたい」。園芸道具を買う人はそう思っているはずだ。

市場調査がゼロックスの重役たちに「家庭用コンピュータを無視せよ」という意思決定へお墨付きを与えたように、このときもしぼくが市場調査をやっていたら、「そんなのはやめて、元の書く仕事で生計を立て給え」とアドバイスされたはずだ。

ラッキーなことに、ぼくは市場調査するだけのお金を持ち合わせていなかった。

スミス&ホーケンは、その分野で失われた何かを根っこにして創業した。だから顧客から支持され、成長できた。良質の道具は、開拓時代から第二次世界大戦までは生活の一部だったのである。失われたものにも、いまだニーズはあるのだ。