「アメリカ勤務」と職務経歴書に書きたかった

それまで英語とはまったく無縁だった私ですが、1978年、DECという米国系コンピュータ会社に転社しました。ここから私の英語学習が始まったわけですが、3年間毎日英語学習に励みました。転社を決めた理由は、「アメリカで仕事をした」という職務経歴があったほうがいいだろうと思ったからです。そして、入社してから8年たった1986年にアメリカにある本社での勤務に誘われたのです。

この決断を「戦略的」だと言う方もいますが、私としてはその場のノリというか、思いつきというか、そういうもので決めました。You only live once. 人生は一度きり。どうせなら好きなことをやって過ごしたいですよね。そのとき、私にとって、最もやりたかったのが、「アメリカで働いたことがある」と職務経歴書に書けるようになることだったのです。

そして、その5年後の1991年、日本に帰国しました。本社に残ってくれと言われたのですが、その時点でMBAを持っておらず、まだヴァイス・プレジデント(副社長)にもなっていないことを考えると、本国でのキャリアパスはここ止まりだなと思いました。このままアメリカに残っても負け戦は決まっていました。だったら、日本に帰ったほうが、自分の武器を生かせる、より勝率の高い勝負ができると思ったわけです。

自分がいちばん勝てそうな戦場で戦う

多くの日本人は英語を身につけて外資系だ、海外だと言いがちですが、場合によっては日本に残ったほうがいいケースもいくらでもある、ということを念頭においてください。

何が言いたいかというと、要は自分の価値が最も出せる戦場、自分の勝率が最も高い戦場で戦うことが大事だということです。もちろん、自分のやりたいことを思う存分やるのは、とても大事なことですし、そうしなければ、生きている意味がないとも思います。ただ、わざわざ負け戦をしにいく必要はありません。「自分の価値」をきちんと見極めることが重要です。

例えば、英語を身につけて外資系に転社しても、そこにはあなたよりも前から英語を話し、あなたより前からその仕事に従事していた人がわんさかいるわけです。そこに、習ったばかりの英語を武器に挑むのは、ちょっときついかと思います。だったら、日本の会社にいて、そこで最も英語ができる人として活躍する可能性のほうが圧倒的に高いわけですよ。私の帰国の決断はまさにそこでした。