中国は35年前から英語化に順応しようとしていた

日本人の英語に対する危機感みたいなものって、本当に皆無なんですよね。これでは日本の国際競争力は、数年後にはゼロに等しくなるのではないかと思います。

ちょっと中国の話をシェアさせてください。今の中国ではなく、1989年当時の中国です。1989年、ちょうど天安門事件の直後の話です。私はアメリカ本社勤務中だったのですが、著名な中国系音楽家のパーティーに呼ばれ、参加させていただきました。

私はお酒が弱いのですが、いつもより少し多めに飲んでしまい、気が大きくなっていました。そこで、大声で「デンシャオピン(鄧小平)の改革・解放というのはすばらしいけれど、今回の事件の処理は受け入れられない」と言い放ちました。

その音楽家はしばらく私の話を聞き、「ノリオ、壁際のところにずらっと並んでいる若い中国人を見ろ」と言いました。「あれはみんな中国共産党の幹部の子弟だ」と言うわけです。そして彼は続けました、「みんなハーバードやMITに留学しに来ているんだ」と。今から30年も前に、中国はすでにエリート候補をアメリカの一流大学に送り込んでいたのです。それはもう、英語化する世界にいち早く対応するためでした。

東大や京大の世界ランキングが下降する理由

日本はなまじ英語を学ぶ必要性がない教育体系だったので、英語に対応することや英語の必要性をあまり感じずにここまで来ることができました。それこそ、英語は一部のエリートができればよいという感覚でしょう。それはある意味幸せなことでもありますが、ビジネスをやるにせよ、研究をするにせよ、世界を相手にするためには英語を話さなければ話にならないのです。

なので、少々乱暴な言い方をしますが、今どき博士号を取っても、英語を話せるようにならない大学に行っても仕方がありません。少なくとも修士課程以上では英語で授業をやるような大学でないと、これからの日本を背負って立つ人材は生み出せないでしょう。そう考えると、東大や京大ですら、大学の世界ランキングの順位をつるべ落としのように下降している理由が理解できますよね。