「自分で伝えたい」が人間の普遍的な欲求

AI翻訳が劇的に普及した今、僕らが英語学習に手をこまねいている余裕はない。むしろ翻訳するためのもとの言語である日本語の助詞や文節の並びを押さえておくほうが大切になってくる。そうすれば翻訳機がワンタッチできれいな英語にしてくれるからだ。

そんな時代に英語を勉強する必要とはなんだろう?

堀江貴文『いつまで英語から逃げてるの? 英語の多動力New Version』(Gakken)
堀江貴文『いつまで英語から逃げてるの? 英語の多動力New Version』(Gakken)

それはじかに生身の人間同士でコミュニケーションを取りたいという本質的な人間の欲求があるからだ。翻訳機などのツールはツールとして活用すればいい。でも、やはりそれらに頼りっぱなしではなく、自分の口から英語を発したい。それは人間の普遍的な欲求だ。

大学で学問を教え、アーティストとしても活躍し、経営者でもある落合陽一さんも言っている。これから確実に重要になるのは百姓的な生き方(=多動力)。ひもをっているときもあれば、わらじをつくっているときもあり、稲を刈っているときもある。百の生業を成すことで、それぞれが相乗効果的に絡み合い、いまだ見ぬ「価値」を創れる人材になれる。

そんなふうに生きるためには、国内だけでなく、世界をもっと見る必要があるだろう。そして、世界を見るには英語が必須なのだ。

訛っていても、下手でもまったく問題ない

“英語”というと、ペラペラに喋れるようになることを目指す人が多い。でも、何もわざわざネイティブと同じレベルを目指す必要なんて日本人にはないと僕は思う。

世界を知らなすぎる日本人が多い。やたらなまりがあったり、大して英語がうまくない英語スピーカーも、英語圏の国で堂々と暮らしている。本来はそういう英語圏でのリアルを学んでから、英語習得に意識を向けるべきなのだ。

だからブロークンな英語でもいい。小学生レベルの英語でもいい。世界を旅しよう。自動翻訳が普及していくこれからは、英語が話せないより、話そうとしないほうが問題なのだから。

POINT
ペラペラを目指さなくてもいい。
でも話そうとしないのは大きな間違いだ。
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