現場の士気が下がったままなら、この成功はなかっただろう。背景にあったのは「意識の共有化」だ。08年4月に伊勢丹から銀座三越に移ってきた営業統括部長・江坂元秀氏は、その過程を「ストローク」という言葉を使って振り返る。
「2年半の準備期間中、毎週のように定例でストロークを重ね、みんなが同じ方向を向くように調整してきた。誰もが共通の意識を持たないと成功は望めない。コミュニケーションの徹底には同じことをぶれずに何度も繰り返すしかありませんから」
婦人服ではこんなことがあった。あるバイヤーは、年齢層の高い保守的なブランドを減らし、ファッション性の高い新しいブランドを増やそうとした。魅力のある提案だったが、ゆきすぎれば、既存客を失う。
「『お客様のためにはこうするべき』というバイヤーの言い分を聞いたうえで、一歩引いた立場から『いや、こうじゃないの』と返す。そのやりとりを通して、この店に何が必要なのかを擦り合わせていく」(江坂氏)。
たとえば増床前とブランドは同じだが、ラインアップを大きく変えている店がいくつもある。テナントに「銀座店オリジナル」の商品開発を依頼しているからだ。既存客の戸惑いを軽減しながら、銀座三越ならではの提案も同時に行うという試みだ。ストロークとは、銀座三越の軸を確認したうえで最善の道を探し出す場といえる。安達店長は言う。
「大事なのは、議論じゃなくて話し合いをすること。相手を負かすとか、自分の主張を言うのではなく、相手の思っていることを聞き出して核心が何かをわかり合う。それがコミュニケーションですよ」
根気強く繰り返されるコミュニケーション。そこには統合した伊勢丹の影響が見て取れる。三越は「公家型」の社風で知られ、時代に対応して素早く方針を変えていく。悪く言えば腰が据わっていない。一方、伊勢丹は「野武士型」。マーケティングの強さを武器にしながら、「仮説―検証―修正」を徹底的に繰り返す。すぐに成果が出なくても成果が出るまで諦めず徹底する。三越出身の安達店長は、そんな泥臭い「伊勢丹流」に刺激を受けたという。
「『やろう』と言ったことは必ずやりきる。お客様の情報をつかんだうえで仮説を立てているからヒット率が高い。うちにはない強みです」
銀座三越が何をやりきったのか。食品に並ぶ改革が9階の公共スペース・銀座テラスだ。約3000平方メートルの空間には芝生の広場や計134席のレストスペースが設けられ、物販スペースはない。日本で最も地価の高い場所を、売り上げに貢献しない公共スペースとして使う。間違いなく「冒険」だ。その理由を片桐氏は「モノではなく、思い出となる時間を提供するためだった」と話す。
「百貨店はかつて、子ども時代の楽しい記憶を象徴する場所でした。消費がモノからコトへとシフトしたことを考えれば、百貨店にコトを演出する場があってもいい。先日、銀座テラスを利用されたあるお母さんから、『久々におじいちゃんが孫と楽しい時間を過ごすことができた。ありがとう』とお礼を言われました。家族の絆を担う思い出の場所になる。これこそが我々の目指す『マイデパートメントストア』なんです」
買い物をするだけでなく、その空間にいるとワクワクする。楽しい記憶と一体化している。「マイデパートメントストア」という名称はそんな百貨店にだけ許される。
リモデル前の銀座三越はコンビニのような百貨店だった。場所は銀座のど真ん中だ。便利には使えるが、用が済めばそれで終わりの店だった。
「銀座三越はいつもその時々に売れている商品やブランドを入れて、高効率をなんとか維持してきた。しかし、一過性の取り組みではもう継続的な成長は見込めない。将来を考え、お客様といっしょに我々が成長していくスタンスでないと」(安達店長)
百貨店業界は低迷している。だが、それは、業態にあぐらをかき、立地に依存し、同質化し、目の前の顧客を見失ったからではないか。『銀座四丁目にたまたまある百貨店』ではなく、『銀座四丁目の、銀座三越』という印象を刻み込む店へ――。挑戦はこれからが本番だ。
※すべて雑誌掲載当時