令和の時代の笑顔は意味合いが異なる
挨拶の延長に笑顔もあります。
ちょっと驚かれるかもしれませんが、令和の時代では笑顔は自分が見せるときも相手に見せられるときも微妙な滞りが生じることになります。
昭和や平成の時代であれば、「笑顔を見せることで打ち解けられる」「相手に親しみを感じてもらえる」といったポジティブな効果しか感じられなかったと思います。「何はともあれ、まずはスマイル」というのが、営業でもコミュニケーションでも基本と考えられていました。
しかし、令和の時代の笑顔はちょっと意味合いが異なってきます。
まず、これだけ進んだデジタルトランスフォーメーション(DX)の世の中では、意思の疎通を行うツールは豊富にあります。コミュニケーションの手段としてのデジタルもメールだけでなく、ZOOMもあれば、LINEもあります。
笑顔は「(笑)」でも表現できますし、絵文字でもかまいません。笑顔の画像や動画を使う人もいます。わざわざ対面でつくり笑い(と思われる笑顔)をする必要はないわけです。また、相手から「本心からの笑顔だろうか」と疑われる可能性もないわけです。
笑顔が安っぽくなった時代
さらにいえば、近年、笑い自体の質はオーバーになってきています。
米国カリフォルニア大学バークレー校の研究者が、全米26州800冊の卒業アルバムから画像3万7000枚を分析したところ、年代が進むにつれて笑顔が大きくなっていることがわかりました。
日本でもお笑い芸人がテレビに出ない日はないという状況です。笑いや笑顔が次第に大きくなってきていると考えて不思議はないでしょう。
そのため、ちょっとした笑顔では理解してもらえないことも増えているように思えます。
「あの人の表情は笑顔だったのかな」「もっとはっきり歯を見せて、笑っていることをアピールしなければ、相手に伝わらないのではないかな」などと考える傾向にあるのです。
自分は十分な笑顔を見せているつもりでも笑いがオーバーになっている今の時代では「笑っていない」ととらえられるリスクはかなりあります。テレビやYouTubeで大きな笑いを見慣れていれば、相手がほんのちょっと笑ったくらいでは満足できないこともあります。