「自由と自己責任」の現代

この数十年で「指示に従えば、責任は取る、面倒も見る」の代わりに流布した言葉が「自由と自己責任」です。

読んで字のごとく「自由にしてよいよ、ただし責任も自分で取ってね」ということですが、み砕くと「もうあなたの面倒は見られない、こちらに責任は取れないから、その代わりに自由にしていいですよ」というのが本音でしょう。

今では、雇用形態から人事制度、異動の仕組みまで、あらゆるところで「自由と自己責任」が広がり、日本の企業社会の常識となっています。

そんな時代に上司が「失敗しても私が責任を取る」と大見得を切っても、どこまで信用されるでしょうか?

もし部下に対して格好をつけたい、威厳を示したいがためだけにこのセリフを吐くならば、この本に出てくるNGワードの中でも最悪の部類に入ります。「できないことをできると言っている」つまり「ウソをついている」からです。

若手は、もし上司に「失敗しても責任を取る」と言われた場合、まず「責任って何?」と思うことでしょう。その仕事にトライし失敗しても、自分の評価に影響しない、それを保証する、ということでしょうか?

それならまだ好感を持たれ、納得もされると思いますが、もし「上司が非を認める」とか「社長や経営陣に謝罪する」「相手企業に頭を下げに行く」程度の意味でしかないのならば、「そんなことしてもらっても別に意味はない」と思うでしょう。

ですから、上司は「責任を取る」と言うなら、意味を明確に定義しなければ、その言葉は若手社員の耳には空疎に響くだけになります。意味さえ曖昧なまま使い方を間違えると、先述の通り上司としては「最悪のNGワード」ということになります。

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「自分で選んだらいいよ」と言うほうが誠実

今の時代、究極的には上司であっても責任など取れないことが多いものですから、相当な覚悟があるのでなければ軽々しく「責任を取る」などと言うべきではない、というのが私の意見です。

星野監督のような器の大きな人間に憧れるあまり、つい、自分の責任担保能力の範囲を超えて「責任を取る」と言ってしまいがちですが(実は私もそうです)、それは悪く言えば「だまし」になりかねません。

そうなるくらいであれば、若手から「頼りがいのない上司」「格好悪い上司」と見られても、「最後は君が責任を取るのだから、自分で選んだらいいよ」と言うほうが誠実ではないでしょうか。「ただ、そのための協力はいくらでもするから」と付け加えることは忘れずに。