子どもを褒めて、褒めて、褒めまくり、力強さを示す
たとえば、学校でいじめられて帰ってきたりすると、不安な気持ちになります。こんなときには、褒めてもらいたいわけではありません。
父親がひざの上に乗せてあげて、「パパがついているから大丈夫だ」というふうに言ってあげれば、子どもはほっと安心して、「パパがいるから、僕だって強いんだ」というように思えるようになります。
そして、僕も強くなりたい、パパみたいになりたいという気持ちがわいてきて、生きる方向性が見出される。
それをコフートは、「理想の極」と呼び、このパパの役割を「理想化対象」と呼んだのです。もちろん、これはママでもかまいません。
要するに、子どもに対しては基本的には褒めて、褒めて、褒めていって、子どもを前向きに、よりがんばるように伸ばしてあげる。
そして、子どもが不安になったときには、そこには力強い親がいるということを示してあげる。それが、子どもを健全に育てる基本パターンだとコフートは言っているのです。
子どもは無視されるのが一番つらい
コフートは叱ることについてはあまり話をしていません。しかし、鏡が子どもの行動を映し出すものだと考えれば、やはり、悪いことをした場合には、きちんと叱るということが必要です。
子どもにとって一番つらいのは、鏡がない状態、つまり、褒められることもなく、叱られることもない無視された状態です。人間にとって、相手にされないほどつらいことはなく、批判されたり、叱られたりするほうがまだましなことなのです。
子どもは、いいことをした場合には褒めてほしいと思っており、悪いことをしたとわかっている場合には、叱られるのが当たり前だという気持ちを持っています。
ですから、本当に悪いことをしたときには、きちんと叱ってあげなければなりません。たとえば、ほかの子を殴っちゃったとか、すごく危ないことをしたとか、飛び出して車に轢かれそうになったなどという場合には、きちんと叱ることが必要です。
ただし、子どもの教育においての基本パターンは、やはり「初めに愛ありき」だということは間違いありません。愛情を感じていなければ、叱られても「自分のため」という気持ちになれず、ただ怖い思い、不快な思いをするだけになってしまいます。
ベースに「自分はお父さん、お母さんから愛されている」という気持ちを持ったうえで、叱られると、「自分がいけなかったんだ」「自分のために叱ってくれている」と思うことができるようになります。