地元の若者が手放した原付を中古販売して稼ぐ

親父が事業をしていたので、高校生の終わりに僕もやろうと思い立ちました。ですが教えてくれる人も聞く人もいなかったので、とりあえず本から学ぼうと思い、本屋に行きました。

その時に僕が買った本は3冊。不動産の本とアフィリエイトの本、そして細木数子の占いの本です。

高校を卒業してからとにかくいろんなことをやりました。ブライダル、鳶職、労働者派遣業、飛び込み営業、中古のバイク販売、アフィリエイト、ブロガー……。

その当時で、月に200〜300万円くらいは稼いでいました。

いろいろとやってみたうちの一つがバイクの売買。僕の育った地域は田舎やったんで、バイクの免許が取れる16歳になると、みんな原付に乗るようになります。で、18歳になったら今度は車に乗るようになるから、もう原付はいらないってことで、安く手放すんです。

僕はいらなくなった原付を5000円くらいで買って、メンテナンスをして3万円で売ってました。この流れで、年間200台くらいはさばいていました。

原付以外のミニバイクなんかも、中古を3万円で仕入れて修理すると、16万円くらいで売れました。高校を卒業した子から買って、新入生に売るっていうシステムができあがってからは、めちゃくちゃ儲かりましたね。この仕組みを17〜18歳くらいの時に思いつきました。

他にも、酸素カプセルの営業として接骨院に売りに行ったりと、18〜22歳くらいまではこんな感じで大小様々な事業をやっていました。

飲食店やりたいなって思いながらバーにアルバイトしに行ったら、ちょうど店長と副店長が辞めることになって、オーナーに「この店買わへんか」みたいに言われて、アルバイトから一気にオーナーになるという出来事もありました。

もちろん、飲食店経営に関してはなんの知識もなかったけど、とりあえず一生懸命やったら、買う前は1カ月の売上が30万円だったのが、半年で250万円になり、すぐに400万円くらいになりました。

そこから飲食店の店舗数を増やしながら、売上を伸ばしました。その時出た売上を全て事業投資に回して、飲食店をやりたい人や、他の飲食店への投資、牡蠣の養殖、底引き網漁、植物工場、エステのフランチャイズ、飲食店や店舗のコンサルティング、と広げていきました。あの貧乏の時代に戻るのが怖くて死ぬ気で働いていました。

長男のカチが生まれる頃に仕事は軌道に乗り、一部事業を売却できたりして、一段落しました。

“クソ親父”のようにならないために必死で働いた

僕は今ではこんなふうに家族の主人としてやっていますが、結婚する前や結婚当初は、家族を持つことや自分の子どもに対して、ずっと頭の中に不安がありました。

そのひとつが、自分の父親のことです。自分もあんなふうになるんじゃないかという不安がずっと付きまといました。

本で読んだのですが、男性の性格や行動は60%くらい父親の行動が影響・遺伝するみたいです。だから、僕も親父みたいになる傾向があるんじゃないかと思っていました。

親父を反面教師にと意識して生きてきたのですが、それでも、金の使い方とか、息子なんで似てるところがありました。自分の中にクソ親父の影を感じて、そうならないためにも必死に働きました。