「首尾一貫」VS「朝令暮改」

議論、炎上を避ける人には特徴的な行動パターンがありますよね。「さっきこう指示してしまったから、変えられない」。無駄にいい人ブっている彼らの名は、首尾一貫性マン。

はっきり言いましょう。まったく無駄な行動だと。絶えず変化している世の中では、ある時点で真摯に考えた答えが時間とともに役に立たなくなるのは当たり前。一度決めた事柄を変えられない首尾一貫性マンは、答えのないビジネスの世界で思考放棄しているだけです。

だからこそ、世の中では悪い意味で使われがちですが、こうなるべきです。朝令暮改マンに。

インプットが変われば、仕事を進める仮説が180度変わっても決しておかしくありません。過去の判断が間違っていたと認めるのを恐れず、朝令暮改を当たり前にしていきましょう。

変えられないのは、思考放棄の証拠

「行けない」VS「行かない」

高校の友達、いや、友達でもないただの旧友、連絡先は知らない、SNSでつながっているだけ、程度の仲間からこういうお誘いがあったとしましょう。

「今度、同窓会までいかないけど、仲間で集まろうかと。来ない?」

そう言われたときに、直感で皆さんも思うはず。

「うわ、面倒くさ。いや、嫌いなわけでもないよ、でもさ……」

そんなとき、こう返信していませんか。「その日、行けないや、ごめんね」。

これが最悪です。まさに「いい人」症候群。同窓会に行ったところで、そのつながりに何の意味もないと思っているから面倒だと感じているのでしょう。行く意味があるなら、二つ返事で「行く!」となっているはずです。

だから、これからは「行けない」ではなく「行かない」と返事をしていきましょう。

愛は無限にあると考えがちですが、そんなことはない。誰かに与えられる愛の量は限られています。愛の量を100だと考えてください。たいして会いたくもない昔の知り合いに最低単位の1を配ってしまったら……愛はあと99しか残りません。限られた愛を注ぐのは、自分が本当に大切に思う人たちだけでいい。行く気の起きない誘いには「行かない」と自ら愛をセーブし、温存した「1」を思いっきり、仲がいい人に注ぎ込みましょう。

「この人の会には行かないけど、あの人の会には行く」という決意は、「行かない」という返事と矛盾が生じていないから、愛のエネルギーを増やします。また、もしこの決意を会いに来てくれる“あの人”が知ったら? 自分への愛をより強めてくれるでしょう。

人間同士のロイヤリティは、相手に何かを与えることでは育めません。大切なことは排他。ロイヤリティは排他からしか生まれません。「あえて誰かを愛の対象から外す」ことが、愛を強くするのです。

自分は誰が大切か、意思表示しよう