試合映像の著作権を持っていなかった

「この頃のJリーグは、地上波で取り上げられる機会は、ほとんどありませんでした。ネットで発信しようにも、中継映像はスカパー!に著作権があったので、彼らの許諾がなければ試合映像を使えない。ところが、何気なく作った動画があれだけバズった。『なんだ、自分たちで作って、著作権も持てばいいんだ』と思ったわけです(笑)」

もし「反動蹴速迅砲」の成功体験がなかったら、DAZNとの契約の際、映像の制作や著作権は、慣例に従って手放してしまったかもしれない――。

そう、村井は実感を込めて回想する。歴史的なイノベーションというものは、往々にして、こうした遊び心から生まれるものである。

DAZNの担当者はニュージーランド出身の元ラガーマン

続いて「ミャンマーでのファーストコンタクト」。こちらは、ブラジルでワールドカップが開催されていた時の出来事である。

クイアバで行われた対コロンビア戦で、日本のグループステージ敗退が決したのが、6月24日のこと。現地での視察を切り上げた村井は、サンパウロまで移動して、そこからアメリカのダラス、成田、シンガポールと飛行機を乗り継ぎ、ミャンマーの首都・ヤンゴンにたどり着いた。

「この時のミャンマー出張には、ふたつの目的がありました。まず、Jリーグのアジア貢献活動として、サポーターの皆様から寄付していただいたユニフォームを、現地の子供たちに寄付すること。もうひとつは、日本とミャンマーの外交関係樹立60周年を記念して行われたチャリティマッチ。ミャンマー代表とセレッソ大阪による『ヤンマーカップ』の視察でした」

そんな村井を現地で待ち伏せていたのが、のちにDAZNのアカウント・ディレクターとなる、ディーン・サドラーである。

サドラーは、ニュージーランド出身の元ラガーマン。東芝の社員選手としてプレーしていたこともあり、日本語が堪能であった。自分たちのビジネスを知ってもらうべく、サドラーはヤンゴンまで飛んで、村井に面会を求めたのである。

ラグビーの試合でボールを持つ選手の手元
写真=iStock.com/Jacob Wackerhausen
DAZNの担当者はニュージーランド出身の元ラガーマン(※写真はイメージです)