人生で最初の大きな買い物は電子ピアノ

――お金の制約が大きくある中で、色々やってみたいことをやってきたんですね。弟さんや妹さんはどうでしたか。

自分と違って、二人ともあまり欲みたいなものを持たないですね。お兄ちゃんが「あれがほしい」「これがしたい」と言って親と喧嘩してるのを見て何も言わなくなったのかもしれないです。僕が勝手にそう思ってるだけですけど。

――その後、大人になって、働くようになって。

今も余裕はないんですけど、5人家族の家計の半分くらいは僕が支えています。僕が20歳くらいのときに、家族全員で生活保護もやめました。車も今はあります。

人生で最初の大きな買い物は、成人してから買ったピアノですかね。電子ピアノなんですけど、グランドピアノに近い音質を出せるやつで。やっと買うことができて。

高校生のときより腕は落ちてますけど、毎日仕事に行く前に弾くようにしています。

次の世代に連鎖していく「体験格差」

子どもの頃に家庭が貧困に陥り、体験格差の渦中に身を置かざるを得なかった松本さんは、それでも自分の興味関心を追い求めることをあきらめなかった。

彼は強い。同じ境遇に置かれた子どもたちの多くは、彼と同じようにはふるまえないだろう。それは誰にも責められないはずだ。だからこそ、子ども時代の彼のがんばりや姿勢に学びつつ、そのエピソードを一つの美談として消費するだけではいけないと思う。

改めて子ども自身の目線から「体験格差」を考えると、親の努力の大小にかかわらず、自分では変えられない「生まれ」に子どもたちが放置されているという社会的な構図が、より一層クリアに見えてくる。そして、その放置は世代を超えて繰り返されている。今の親たちも、かつてはみな子どもだったのだ。

では、松本さんのように、「体験」への十分な機会が得られなかった子どもたちからは、そうでない子どもたちに比べて、相対的に何が奪われていると言えるだろうか。

「体験」から得られるその時々の楽しさの格差、ほかの子どもたちにできていることが自分にはできないという相対的な剥奪感に加えて、子どもたちの将来、中長期的な成長に関わる様々な影響が予想される。