母は「結婚こそが女の幸せ」という価値観の下で育った

花の女学生、人生でいちばん楽しい時のはずなのだが……、あいかわらず義母は家事をあれこれと言いつけてくる。色々とやることが多すぎて、友達と遊ぶ暇などはない。サボればまた義母から厳しくしかられる。常にその目を意識して、文句を言われぬよう細心の注意を払う。家の中では常に緊張を強いられてリラックスすることができなかった。

結婚するまで包丁も握ったことがない女性も多い現代とは違う。この時代はどこの家庭でも、母親は娘に家事を手伝わせて家事のスキルを身に付けさせようとする。また、家計を任される妻の責任を自覚させるために、質素倹約の精神を教え込む。

女の幸せは良縁に恵まれること。そして当時の男たちが求める理想の妻は、家事を万事そつなくこなして夫を献身的に支え、子どもの教育もしっかりとできる。いわゆる“良妻賢母”。それが女性のめざすべき姿だと信じられていた。

義母もまた、ノブを良妻賢母に育てることが自分の使命と思っていたのだろう。彼女の場合は少しやり過ぎの感はあるのだが。

明治時代は賃金格差が大きく、女性の稼ぎでは暮らせなかった

明治時代末期、労働現場での男女の待遇格差は現代人の想像を絶するほどに激しかった。官僚や一流企業に勤めるには大卒の学歴は必須、しかし、東北大学等一部の例外を除きほとんどの大学が女子に門戸を閉ざしていた。

女性が安定した月給を得られる職といえば教師ぐらいしかないのだが、そこでも給与や待遇では不利を強いられる。

庶民階級の日雇い仕事では、男女の待遇格差がさらに大きくなる。『日本帝国統計年鑑』によれば、明治時代末期の工場労働者(紡績)の平均日給は男性が44銭で女性は28銭。その差は1.6倍にもなり、女性が月に25日働いて得られる収入は7円にしかならない。

明治36年(1903)にまとめられた労働事情の調査書『職工事情』によれば、世帯の平均支出は1カ月で11円88銭と記されている。男性労働者の賃金でも生活するのはぎりぎり、女工の収入で一家の家計を賄うのは不可能に近い。

女性が独力で生きるには、食住が提供される女中奉公か工場の寮に入るしかない。それも年齢が高くなると色々と難しくなってくる。つまり、男性の庇護がなくては、まともな暮らしができないということ。だから女性たちは婚期を逃すことを恐れた。