所有権は「薪の束」のようなもの

法律家は所有権を薪の束に擬えることがある。1世紀ほど前に初めて使われたこの比喩は、法学教育にも法律実務にも大きな変化をもたらした。所有権というものは個人間の権利の集合であって、分けることもできればまた一緒に束ねることもできるというイメージを植え付ける点で、なかなか有効な比喩だと言えよう。

ある資源について「私の!」と主張するとき、あなたは薪の束を一束そっくり持っているつもりだろう。だから、薪を何本か売ることもできれば、貸すこともでき、抵当に入れる、使用許諾する、捨てる、燃やす、何をしてもいいと考える。だが実際には、何本かの薪を持っているだけであることが多い。

たとえば土地を所有する場合、地主がいて、融資する銀行がいて、賃貸料を払うテナントがいる。通行権を持つ隣人、立ち入り許可を持つ配管工、採掘権を持つ鉱山会社も関わってくるだろう。

これらの当事者はそれぞれ束の中の薪を一本ずつ持っている。それに、薪を束で持っていたら何でも許されるかと言えばそうではない。他人に迷惑をかけることは許されないし、その土地を犯罪目的で使用すること、どんな形であれ人種差別をすることも許されない。

薪
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「購入ボタン」で得られるのはわずかな権利だけ

ダ・シルヴァが身をもって知ったように、オンラインで買うということは薪を束ごと買うことではない。買えるのは2本かせいぜい3本だけである。残りの薪は誰が所有するかについて、売り手はちゃんと明確にしている。アマゾンの映画の購入ボタンを押したら、あなたが手に入れるのは「非排他的・譲渡不可・再使用許諾不可の……個人的な非商業目的の私的使用に限定された使用許諾」である。

いったいこれは何を意味するのか。法律用語をすべて取り除いたら、たいした意味はなくなる。要するに、あなたは「譲渡・複製・展示」する権利は獲得していない(アマゾンがとくに許可すれば話は別である)。また、購入品を「転売・貸与・賃貸・配布・放送」する権利もない。つまり薪の束の大半はアマゾンが握っている。購入ボタンを押して手に入るのは、ほんの数本の薪だけなのである。

iTunes、Kindleなどのライセンスは大なり小なり同じやり方で、つまり非常にわかりにくい方法で運用されている。あなたの所有権の制限条件は、ウェブサイト上できわめて読みにくい法律用語を使って懇切丁寧に説明されているが、そんなものは誰も読まないし、読んだところで理解できまい(法学教授である私たちも、である)。

にもかかわらず、多くの人がかんたんに購入ボタンを押す。買い物で生活を楽しくしたいのだ。ライセンス契約の条項をしっかり読んだとしても、難解すぎるし、交渉の余地はないうえ、のべつ変更される。

売り手はそうしたいと思ったら、あなたに知らせずに改定する権利がある。購入ボタンを押した瞬間に、あなたは事前通知なく行われる将来の改定まで了承すると同意したことになる。だがその改定はあなたの所有権の範囲を変えてしまうかもしれない。