当初はまったく売れなかった家庭用食洗器
新商品開発は、商品部、デザイン室、品質保証部の三位一体で行われます。
収納家具を考えていた際、ターゲット顧客の若者たちから「狭くてもう置く場所がない」「でも収納は欲しい」という切実な声がありました。連携チームの特徴の一つに、ターゲット層の現場となる家の中の写真を徹底的に集め、それをチーム全員で観察して考えるというのがあります。その結果生まれたのが、大ヒットした『壁に付けられる家具』シリーズです。
(事例)
日本で家庭用食器洗い洗浄機が普及するまで
話を本筋に戻しましょう。日本で家庭用食器洗い洗浄機(食洗機)がある程度普及するまでどのくらい時間がかかったと思いますか? その答えは、実に約半世紀近くです。
米国では、今から160年前に木製の手動式食器洗い機が発明されました。その100年後、日本では松下幸之助(パナソニック創業者)の「主婦を家事から楽にしてあげたい」という想いが叶い、日本初の家庭用食器洗い洗浄機が1960年に誕生しました。しかし、米国を手本としたため衣類用洗濯機かと思えるほど大型であり、全く売れませんでした。
そのほかの売れない原因は技術先行となったこと、当時の日本の台所事情の狭さと洗浄力が不十分だったことです。日本は米国と違ってコメ文化です。米粒が乾燥するとこびりついて洗い流せなかったのです。
購入者を調査し、改善点を洗い出す
ほかにも洗浄力の問題として挙げられるタンパク質と脂の汚れを解消するため、温度、洗剤を改良しました。まんべんなく水を噴射するノズルの開発で壁に当たっていた開発者が、庭のスプリンクラーからヒントを得て回転噴射方式の開発に成功しました。
8年後、従来品と比べると小型の卓上食器洗い機が満を持して商品化しました。しかし、これも全く売れませんでした。発売から25年間、1980年代半ばまで普及率はほぼゼロです。
ほかの部署への転出など縮小に次ぐ縮小となり、社内からも見捨てられた風前のともしびの開発チームとなりました。しかし、顧客を家事から解放する夢は決して捨てませんでした。高度経済成長に伴う1970年代後半から、有リン洗剤の河川や湖への汚染など環境問題もクローズアップされていました。1986年に「キッチン愛妻号」を発売するも売れず、開発陣は買ってくれた顧客の使用現場を自分たちで見て出直しました。
開発部門が営業スタッフと協力して、実際に食器洗い洗浄機を購入している家庭を50軒近く訪問して生の声を集めました。台所には蛇口が1つしかなく、いちいち動かすのは面倒なので、水道工事して蛇口をもう1つ作っている現場を見て、開発陣は自分たちの間違った思い込みにショックを受けました。
その結果、1つの蛇口を2つにする分岐水栓を開発。でんぷん分解酵素とタンパク質分解酵素も配合し、環境問題に配慮した無リン化の専用洗剤も独自開発しました。