なぜ健康食品を作り始めたのか
「父はアイデアマンでしたね。1976年、いちやまマート貢川店で夜中の12時まで営業するという取り組みを始めたんです。セブン‐イレブンが24時間営業を始めたのは75年の福島県虎丸店からなので、スーパーとしては全国で2番目の早さで夜の12時までの営業に踏み切ったんです」
これを皮切りに、当時は珍しかった100均一セールやお惣菜やパンの店内調理などをはじめたことで、お客は増加の一途となり、売り場面積300坪で年商50億円という全国でもトップクラスの単店売り上げになったという(同店は老朽化のため09年に閉店)。
いちやまマートは創業以来、常にイノベーションによって成長を続けてきた食品スーパーなのです。
次に手掛けたのが、おいしいだけではなく、身体に良い物を作ろうというPB商品開発でした。
「父が55歳でがんでなくなって、そこから私と兄の達矢の二人三脚でスーパーを必死に切り盛りしてきました。私は父の亡くなる2年ほど前に東京から帰ってきたので、右も左もわからないままとにかく働いた記憶しかないですね。父のやってきたことを継承しつつ、PB商品を始めようと模索しました」
ただそれは現在のような健康志向のPB商品ではなく、加盟しているAJS(オール日本スーパーマーケット協会:ボランタリーチェーン)で始まった同会のPB商品を店内で売り始めた。
そんな最中、再び雅嗣氏を不幸が襲う。共同経営者だった兄が46歳でがんで亡くなったのだ。
「合成着色料が身体にいいわけがない」
短い期間に、二人も大事な人をがんで亡くす。なぜなのか。三科社長は自問自答に明け暮れたといいます。
「答えなんてないんですけどね。でもショックで……。なぜこんなことが起きたのか原因を知りたくていろんな本を読みあさりました。そこで思ったんです。人生においてもっとも重要なことは、健康な身体を保つことこそがではないか、と」
偶然にもその頃、知人から同志社大学名誉教授の西岡一さんのことを知らされました。
「この人の本を読んで、直接会って話してね、食品についての見識を深めました。そして、合成着色料は身体に良いことはないと確信したんです。私はお客さまに食品を提供する仕事をしているわけですから、健康に悪いものをウチの店では売らないことを思いついたんです」
ここからいちやまマートはお客さまの健康的な食生活を提案する企業という姿勢を強く打ち出すようになっていきました。