「叱る→慰める」のセットが重要
こうした意見に対して、「子どもなんだし、変えてあげられるんだから、変えれば良いじゃないか」という考えを持っている人もいるでしょう。ですが、私がこのことを強調するのには理由があります。
こうした「思い通りにならない環境に出会った時の不快感」を親子の関係性の中で納めていくという作業は、明確に「子どもが幼い時期の方がやりやすい」のです。この理由は簡単です。
親が「思い通りにならない環境」として立ちはだかると同時に「その不快感を受けとめる」という「一人二役」をしやすいのは、小学校低学年くらいまでなんです。子どもが幼ければ幼いほど、親が「ダメ!」と叱って不快感を抱えたとしても、その叱った親にすがって慰められるという構図になりやすく、そうした「不快感+慰め」というワンセットを通して子どもは不快感を納める経験を重ねていくのです。
ですが、子どもがだいたい8歳前後くらいになってくると、親が「思い通りにならない環境」として立ちふさがった場合に、子どもは親から離れてしまうので「関係性の中で不快感を納める」というパターンが経験されにくくなってしまいます。
こうした子どもの発達に合わせて、親や学校は、子どもへの叱り方、諫め方、止め方を工夫することが大切になってきます。例えば、子どもが学校で叱られたら、それを聞いた親が気持ちを受けとめるなどの「家庭と学校の連携」が重要になってくるわけです。
少しの不自由さにも耐えられなくなってしまう
学校は多くの子ども達にとって「思い通りにならない場所」です。自分たちの行動は校則で制限されますし、同年代の子ども達の中で好き勝手ばかりはできませんし、定められた時間に定められた学習をすることになります。
こうした学校の在り方こそが不登校の原因であると考える人もいるようですが、まだまだ幼い子どもたちは、学校という「思い通りにならない場所」での体験を通して、不快感を納め、環境との調和を経験していくという面も忘れてはなりません。子どもが「社会的な存在として成長する」ということを目指すのであれば、家庭や学校で経験する「思い通りにならない体験」の価値も理解しておく必要があります。
事例3や事例4のように「世界からの押し返し」が幼い頃から不足していると、学校という場の「不自由さ」に対して過剰な不快感・不満を覚える可能性が高まります(わざわざ保育園や幼稚園の事例を紹介したのは、そういった理由です)。「世界からの押し返し」を経験している多くの子どもにとっては、それほど問題にならない「学校の不自由さ」が、それを経験していない彼らには「たまらなく不快」と感じてしまうわけです。