なぜ日本の天皇家は126代続く世界最古の王家となったのか。歴史評論家の香原斗志さんは「藤原道長の影響が大きい。摂関政治により実権を握り天皇を権威の象徴にしたことで、結果として天皇が時の権力者から狙われるのを防いだ」という――。
藤原道長に対する本当の評価
紫式部(吉高由里子)とならぶ主人公だから当然かもしれないが、NHK大河ドラマ「光る君へ」で柄本佑が演じる藤原道長は、いまのところ好人物として描かれている。
しかし、道長の歴史上の評価は、今日にいたるまで必ずしも高かったとはいえない。とりわけ明治維新以降は、天皇の意向を無視して恣意的かつ専制的な政治を行った人物と評され、いまなおその評価から逃れられていない面がある。
ただし、この評は、天皇親政(天皇自らが政治を行うこと)を建前とした明治から戦前までの体制においては、摂政や関白が政治を代行した「摂関政治」の時代が、理想から隔たっているとされたための批判にすぎない。ところが、いまなお道長やその一族に対する見方は、戦前の歴史観に左右されている。
たしかに、藤原氏のなかでも北家は一門の権勢を維持するために、力を合わせてほかの一族が力をもつことを阻止し、天皇をしのぐ実質的な権力を手にしてきた。その後、北家のなかでも勢力争いが顕著になり、最終的に権力を握ったのが道長だった。
いったん権力を握るや、道長は自分の娘たちを次々と天皇のもとに入内させた。天皇の母方の祖父、すなわち外祖父となって、政治を思うままに動かそうとした。そのことは、それまで生身の権力者だった天皇から実権を奪うことにつながったが、はたして天皇の立場から見て、摂関政治はネガティブな状況だったのだろうか。