だから天皇システムは存続し続けた
仮に天皇が実質的な権力を握り続けていたら、あらたに権力の座をねらう人物は、それを倒さなければ権力を握れない。当然、平氏にせよ源氏にせよ、天皇を倒すことを検討したのではないだろうか。それは他国や他地域の歴史をみれば明らかである。
しかし、武家としてはじめて政権を掌握した平清盛は、藤原氏同様に天皇の権威に寄り添いながら実質的な権力を握ることで満足した。続く源頼朝も、天皇からあたえられた征夷大将軍という官職に政権の正統性を求め、他国のように前王朝を倒して新王朝を築くことなど、おそらく考えもしなかった。
それは天皇という存在が文化的=象徴的なもので、権力基盤を固めるためには、それを倒すよりもその権威に頼ったほうが有利だと判断したからにほかならない。
そして、この判断はのちの武家政権にも継承されていく。執権北条氏も足利尊氏も、みずからが天皇に替わる存在になることなど考えもしなかった。織田信長も豊臣秀吉も徳川家康も、天皇の権威を借りて国を統治することを考え、それを滅ぼそうとはしていない。それは藤原兼家や道長らが、天皇を利用価値がある象徴に祭り上げたからである。
前出の関氏も「皮肉ながらわが国の天皇システムが存続し得た理由は、十世紀の王朝国家が天皇を政治から分離させたことにあった」と記す(前掲書)。
明治国家は天皇親政こそが理想だと喧伝し、それを阻害した道長らを、天皇の敵であったかのようにプロパガンダした。しかし、そもそも道長らの摂関政治がなければ、明治国家が頼った「万世一系の天皇」は、とっくに存在しなかったかもしれないのである。
また、明治国家が理想とした天皇親政よりも、現在の象徴天皇制のほうが日本の伝統に近いことも、最後に付記しておきたい。