初年度で45万枚のレコードを販売、今ならミリオンヒット

作詞は村雨まさをだが、これは服部の作詞のときのペンネーム。百人一首の「むらさめのつゆもまだひぬ まきのはに――」から取ったもので、本当は「村雨まきを」とつけたが印刷屋の誤植で「村雨まさを」になった。だが服部は直すのも面倒なのでそのままにしたという。「買物ブギー」で服部はすしネタを思い出しながら詞を書き、曲をつけ、それを笠置はたちまち服部の好きな落語の世界を体現化した。レッスン中、歌詞をなかなか覚えられない笠置が思わず「ややこし、ややこし」とこぼしたセリフを、服部はそれも歌詞に入れた。

1950年早々にレコーディング。2月、大阪梅田劇場の公演「ラッキイサンデー」の舞台で歌って評判になった(このとき歌の長さは6分だったという)。5月公開の松竹映画『ペ子ちゃんとデン助』の挿入歌となり、たちまち大ヒット。初回出荷レコード、20万枚はたちまち完売し、初年度総数45万枚売ったという笠置の代表曲の一つとなった。この数は2000年当時(以後、CDの売れ行きが低下)のCD発売総数から換算すると、640万枚に相当するという。「わてほんまによう言わんわ」や「オッサンオッサン」は当時の流行語にもなった。

「笠置シヅ子の世界 〜東京ブギウギ〜『買物ブギー』」℗ Nippon Columbia Co., Ltd./NIPPONOPHONE

服部は、エプロン姿に下駄ばきでタップをふんだ笠置を絶賛

「東京ブギウギ」のみならず、笠置が歌うブギはどれも服部と笠置の合作と言っていい。とくに「買物ブギー」は笠置も服部も大阪育ちで、二人の天性のギャグセンス、大阪庶民の感覚が一致してでき上がった。服部は自伝にこう書いている。

「ステージでは、ぼくが言う前に、笠置君は、エプロン姿に下駄ばきといういでたちを作り、(略)下駄で見事なタップをふんだものである。笠置シヅ子は、誰もが言うように芸魂の人であり、不世出のショーマンだったと思う」
服部良一『ぼくの音楽人生』(日本文芸社)

努力家の笠置は舞台でいろんな工夫をしたが、後年、音楽プロデューサー・池田憲一のインタビューにこう語っている。

「日劇の舞台がありますやろ。袖のずっと奥から駆け出してきて、センターマイクのところで急ブレーキをかけて止まる。そこに熱気が生まれますのや。見えんからゆうて、のろのろ出て行ったらあかん」
コロムビアレコード『懐かしの針音 笠置シヅ子』LPジャケット解説、1985年