約6000坪もの土地の住所が未定のまま

銀座界隈の変貌ぶりは、当初、未来都市のシンボルとして好意的に見る人が多かった。川や堀の埋め立てによって生まれた土地は、売却され、戦後の復興事業にひと役買ったし、1960年代の高度成長期には、その頭上が高速道路のルートにもなり、銀座を大きな街に成長させてきたことはたしかである。

しかし、この発展に問題がなかったわけではない。今に至るまで引きずり続けている現実的な問題が存在する。それは、東京の一等地にもかかわらず、住所がない場所が生まれたことである。外濠と汐留川の埋め立てによって誕生した約6000坪もの土地の住所が未定のままなのである。

番外地が生まれてしまったのには訳がある。

埋め立て前の外濠は、濠の中央部分で中央区と千代田区を分ける境界線として使われていた。一方の汐留川も、川を挟んで中央区と港区の境界としていた。水が流れていたころは、当然ながら、そこに住所を定める必要はない。

ところが埋め立て地ができたことで、話がややこしくなる。

「それは昔の話だろう。どこに区境を引くか決めればいいだけのことではないか?」と簡単に思うかもしれないが、土地の帰属問題は難しいのが常である。区と区の話し合いが何度も持たれたが、なかなか合意に達しないまま、今日まで時間が過ぎてしまっている。結局その間、住所不明のままなのである。

「所属する区」は建物のオーナーが選べる

もちろん、住所不明だからといって、こんな一等地を空き地にしておくはずもない。中央区と千代田区の境には銀座インズや銀座ファイブ、NISHIGINZA、中央区と港区の境界には銀座ナインなどのショッピングセンターが入っている。

住所がなければ、所属する区も未定なわけで、この土地にある店舗が、土地の管理や税金の支払いなどの行政上の手続きを、どうしているのか不思議である。

じつは、建物のオーナーが、いずれかの区を選び、住所登録を自己申告している。たとえば、銀座インズの場合、「銀座西二丁目二番地先」というように、「銀座西」という実際には存在しない地名を便宜的に利用している。

さらに、こうしたショッピングセンターの名称には、地名のブランド力の変遷もあらわれていておもしろい。

1958(昭和33)年に開業した銀座インズは、当時「有楽フードセンター」であり、「千代田区有楽町○番地」と名乗りを上げていた。フランク永井の「有楽町で逢いましょう」が大ヒットし、有楽町があこがれのデートスポットとして注目されたころのことである。銀座インズとなったのは、1990(平成2)年である。

銀座インズは「銀座西二丁目二番地先」という実際には存在しない地名を便宜的に利用している(写真=Kentin/CC-BY-SA-3.0、2.5、2.0、1.0/Wikimedia Commons)
銀座インズは「銀座西二丁目二番地先」という実際には存在しない地名を便宜的に利用している(写真=Kentin/CC-BY-SA-3.0、2.5、2.0、1.0/Wikimedia Commons

銀座ナインについても、1961(昭和36)年に開業したときは、「SC新橋センター」という名の商店街だった。しかし1985(昭和60)年、銀座に新たに九丁目をつくるという意味をこめて「ナイン」に生まれ変わったのである。

それまで弱かった銀座という地名ブランドが、大きな意味を持ってきたことがわかるだろう。