ここからは筆者の想像だが、1つはむめのの親切な行為に対する、お遍路さんの感謝の言葉や笑顔からの影響である。高橋さんによると、むめのは生涯、他人に対して親切であったそうだが、人に対して誠実に親切に接すると、とてもよいことが起こることを子ども心に実感し、ますます親切になっていったのではないか。行動心理学的に説明すれば、お遍路さんの感謝の言葉や笑顔が、むめのが親切な行動をする頻度をあげたのであろう(正の強化)。

もう1つは、お遍路さんとの対話からの影響である。人は親切にされると、その相手に心を開きやすくなる。ましてや幼い少女が疲れ果てたお遍路さんに心をこめて応対したら、そこに打算や目論見はまったく感じられないはずで、お遍路さんはむめのにいろいろな話をしたと考えられる。むめのは知らないうちに、人はそれぞれ生きるための知恵をもっていると気づいたのではないか。むめのは他人から学ぶことがとても上手だ。むめのにとって他人とは親切にする対象であり、役立つことを教えてくれる師匠だったのだろう。

人をだまそうとする人は、松下むめのとはまったく逆の目で他人を見ている。筆者は極め付きのペテン師たちと何度か出会ってきたが、この手の人は、他人とは利用する対象であり、金を巻き上げる対象であると見ていた。ペテンは、いつかばれるリスクが大きい商売である。ばれたとき、トラブルは小さいほうがいい。トラブルが大きくなれば、自分がペテン師であることを知る人が多くなる。そのため、だまされたとわかっても大人しく引き下がる人を見抜く能力が、ペテン師は抜群に優れている。「こいつはだませるか。だまされてもうるさいことを言わないか」と値踏みばかりしている人が、他人から大切なことを学べるはずはない。

松下むめの的な生き方を支えるこころの仕組みは4つある。

(1)人間の基本的な資質は、努力で大きく改善できるという「しなやかなマインドセット」をもっている
(2)財産や地位など世俗的な基準で、自分も他人も評価しない
(3)誰に対しても親切に誠実に接する
(4)出会った人からよいところを学び取ろうとする

4つとも実に立派なことばかりであり、成功のためのハウツー本にも、多少の言葉の違いがあっても掲載されている。にもかかわらず、完全にわがものにしている人は、筆者も含めてほとんどいない。言葉を変えていえば、誰もがよいとわかっているのに、その行動や考え方ができないのはなぜか?