書の地位は低く、美大から相手にされない

発足当初は日本画、西洋画、彫刻の3部制で始まり、1927年の第8回帝展から工芸美術が加わりました。戦後、1946年に第1回の日展が始まり(この年は春と秋の2回)、1948年の第4回日展から書が参加。1958年に民間団体として社団法人日展を設立し、2012年から公益社団法人になっています。政府が取り仕切る「官展」から民間事業者が行う「民展」に姿を大きく変えました。

社団法人は、一定の目的のもとに集まった団体で、営利目的ではなく、1つの社会的存在として行動する組織のこと。公益社団法人は、公益事業を主たる目的としている法人で、一般社団法人に比べ、より公共性が高く、ワンランク上の社団法人と言えます。

公益社団法人になった翌年に、日展の書の問題が噴出しました。

美術界で、書は新参者で、長らく美術とは認められませんでした。今も、ほとんどの美術大学には書道科がなく、教育大学を中心に書道科が設置されています。

朝日新聞が日展の不正審査をスクープ

11年前の朝日新聞のスクープは、2009年の第41回日展で、書道団体の入選者数を前回と同じように割り振るように指示されたというもので、「天の声」を発したとされるのは日展顧問を務める日本芸術院会員で、書道界の重鎮という内容でした。

朝日新聞の取材に対して、日展顧問は「審査主任が勝手にやったことだ」と関与を否定しました(スクープ時点で、審査主任はすでに死亡)。一方で、日展顧問は「その後は書の4部門(筆者注。漢字、かな、調和体、篆刻)について審査前に日展理事らで合議して入選数を有力会派に割り当ててきたことは認めた」と朝日新聞は報じています(2013年10月30日1面)。

他のマスコミもこの問題を大きく取り上げ、日展審査の疑惑を調査する「日展第三者委員会」が設置され、元最高裁判事の濱田邦夫氏を委員長とし、弁護士などに実態調査を委ねることになりました。

日展第三者委員会は、日展の書について「日本芸術院会員を頂点とし一般公募者を底辺とするヒエラルキー(ピラミッド型階層差組織)が出来上がっており、トップの発言権が極めて強いという長老支配の組織運営の実態が明らかになった」「入選や特選に絡んで金銭授受が行われるという慣行は、すでに過去のものであるとして葬り去ることはできない」と厳しい指摘をしています。