静岡地裁と東京高裁の判断は妥当
筆者は医学や登山の専門家ではないため、富士山登山者が標高およそ300mの地点までクルマを運転して下ってきた時に、ハンドルを握ったまま突然失神することがあり得るのか、判断できない。
だが、素人目には、アルコニス元受刑者による急性高山病発症の主張を、静岡地裁と東京高裁が退けたことは妥当だと思える。
岸田首相は国民主権を否定するのか
米国の圧力に屈し、日本の司法判断の有効性を曲げたように見える岸田政権。他国の圧力で刑の内容を後付けで変えられるなら、司法への信頼が揺らぐだろう。
日本国憲法はその前文で、「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」と謳っている。
だが、今回の一件で岸田首相は米国に屈し、国民主権を否定したように見える。
日本政府の使命とは、一義的には日本国民の人権を守ることだ。
憲法前文はまた、「自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする……責務」を説いている。これが、日本という国の政治の1丁目1番地なのだ。受刑者移送条約を含む国際条約は、この原則に服従するものだ。
岸田政権がアルコニス元受刑者を米国に引き渡してしまった以上、もはや取り戻すことはできない。
だが、これからも発生するであろう同様のケースにおいて、国民の人権が日本政府に守られるように、政府に対して要求をしなければならないだろう。