危険運転の厳罰化によって設けられた「危険運転致死傷罪」に、遺族が苦しめられるケースが相次いでいる。ジャーナリストの柳原三佳さんは「無免許、無車検、無保険で、飲酒ひき逃げ死亡事故を起こしても、今の法律では危険運転として裁けない。遺族の怒りの声、苦しみから生まれた法律が遺族を苦しめている」という――。
ブラジル国籍の男が運転していた乗用車。
写真=遺族提供
ブラジル国籍の男が運転していた乗用車。

危険な運転をしても「危険運転致死傷罪」で裁けない

飲酒、赤信号無視、著しいスピード超過、無免許……、このような悪質で危険な行為によって引き起こされた事故が、なぜ「過失」で処理されるのか。

家族を失った遺族らによる疑問と怒りの声を受け、2001年の刑法改正で新設された「危険運転致死傷罪」。新法が成立して今年で22年となるが、ここへきて条文を見直すべきではないか、という議論が活発になっている。

法定刑は最長で懲役20年に引き上げられたものの、現実には「故意」立証のハードルが極めて高い。客観的に見て「危険運転」と思われるケースでも、この罪が適用されず「過失」で起訴されるケースが相次いでいるのだ。

2021年2月に大分市の県道交差点で起きた時速194キロの衝突死亡事故も、当初は「過失」で起訴された。また、今年2月、宇都宮市で起こった時速162キロでの追突死亡事故も、同じく運転手は「過失」で起訴されており、遺族は今、検察に「危険運転」で起訴するよう申し入れているところだ。

危険運転に対する重い刑罰が新設されたというのに、結果的に「過失」として処理された被害者遺族の悔しさ、無念さ……。それは、まさに国家による二次被害だ。当事者たちは長年にわたって精神的な苦痛を強いられている。

19歳の長男を失った父親の苦しみ

眞野さんの自宅に事故の第一報が入ったのは、2011年10月30日午前4時半頃のことだった。

「息子さんが事故に遭い、これから名古屋医療センターに運びます」

それは、救急隊から要件のみを告げる短い電話だった。

父親の哲さん(当時50)が仕事で不在だったため、先に母親の志奈さんが病院へ駆けつけると、医師から『脳には空気が入り、手術は不可能です。もう、手の施しようがありません』と説明を受けた。志奈さんは何を言われているのかも分からないまま、ただ茫然と、夫が到着するのを待つしかなかった。

まもなく哲さんが病院に到着。午前5時半頃、眞野さん夫妻の目に飛び込んできたのは、信じられない光景だった。血だらけで処置室のベッドに横たわっていた長男の貴仁さん(当時19)の意識はなく、頭がい骨は大きく陥没。耳や鼻など、いたるところからの出血もみられる。

「そのとき、息子はまだ息をしていました。それなのに、最愛の息子が死んでいくのを、ただ待つしかない……。私たちは、現実を直視することができませんでした」