やわらかく接すると、やわらかく応えてくれる
どこへ行っても「顔見知り」ができる人のまわりには、いつも笑顔があるもの。笑顔でいると、理屈抜きに自分も相手もリラックスして、仲良くなれるのです。
私はカメラマンをしていたとき、よく海外の街角で、カメラを指さして子どもやお年寄りに「OK?」と笑顔で声をかけていました。すると、こわばった顔も途端にほころんで、大抵は「OK!」と、にっこり笑顔でポーズをとってくれるのです。
笑顔は万国共通の「仲良くしましょう!」「心配しないで!」というメッセージ。
「感じがいい人」という印象は、丁寧な対応(行動)や、あいさつ(言語)よりも、笑顔であること(表情)のほうが大きく影響するといいます。表情というのは、群れて生きてきた人間にとって、とてもわかりやすくて重要な“意思表示”なのです。
私たちは生きていくために、無意識に相手に危険性があるかどうかを感知していますが、笑顔で接すると、相手は「危険ではない」「自分を受け入れてくれている」と認知して、不安や恐れがなくなり、すぐさまリラックスモードに導いてくれるわけです。
笑顔には計り知れない効果があります。表情が感情を生み、自分が楽しくなる「表情フィードバック仮説」、相手やまわりの人も笑顔になる「ミラー効果」、ストレスを緩和して心を整えてくれる効果、自信があって魅力的に見える効果など。だれだって、ムスッとした表情の人より、にっこり笑顔の人が好きなのです。
人間関係を大切にして、仕事やプライベートで引き立てられている人たちは、いち早く笑顔の効果に気づいて、初対面でも、顔見知りでも、家族や同僚でも、だれかと一緒にいるときにできるだけ笑顔でいようと心がけているはずです。
ただし、引きつった笑顔、バカにした薄笑い、ニヤニヤして心ここにあらずの笑い、目が笑っていないなど、気持ちが伴わない笑顔は、逆に警戒されるので気をつけて。
笑顔はお金もかからず、どれだけ与えてもなくならないギフト。笑顔が絶えない人のまわりには、あたたかい人たちが集まるという単純な法則を忘れないでください。
「本来、人間はあたたかいもの」と心を開く
「都会は世知辛く、みな冷たい」「だれもが自分のことしか考えていない」など、基本的に人は冷たいものだと考えていると、人と仲良くなることも、関わり合って生きていくこともむずかしいでしょう。どこに行っても心が閉じていて猜疑心が強く、些細なことでも傷つきやすくなるはずです。
顔見知りができやすいかどうかは、そもそも人間とは冷たいものか、あたたかいものか、どちらをデフォルトにしているかの差が、大きいのではないかと思うのです。
ときどき、「世の中には悪い人がいるから、下手に声をかけてはいけない」などと言う人がいます。もちろん、自分を守るために気をつける必要はありますが、人間に「いい」「悪い」と色がついているわけではありません。
それぞれがさまざまな要素をもっていて、「善人」がひょんなことから悪に染まっていくこともあるし、「悪人」と呼ばれる人の心にもいくらかの良心はあるでしょう。
それと同様に、あたたかくも冷たくもなるのが人間ですが、私が「本来、人間はあたたかい」と確信するのは、それが生きとし生けるものの“自然”な姿だからです。
植物や動物がまわりから命を与えられ、まわりのために自分の命を捧げるように、人間も一人では生きていけず、だれもが「愛されたい」「愛したい」という欲求をもっています。
社会の機能がシステム化されたり、個人化が進んだりするほど、人間のあたたかさは尊く、つながることを欲するようになるのではないでしょうか。
不思議なもので、「本来、人間はあたたかい」「だれもが限りある人生を懸命に生きている」と俯瞰してみると、あたたかい部分に目がいくようになります。それに、そう考えたほうが心は穏やかになり、生きやすいではありませんか。
「本来、人間はあたたかい」と思うと、怖がらずに心を開いて相手と接することができ、心を開いてもらえるようになります。傷つくことがあっても寛容になれ、癒やすこともできます。“恐れ”より“愛”のある選択ができるようになるのです。