幸せな家庭を築くことが育児放棄した母親への一番の復讐
このとき猫田さんは完全に母親を見限った。いつしか「ママ」と呼ばれなくなった母親は、最終的には“お猿さん”とみなされた。娘が母親を捨てたのだ。そこには「羞恥心」を超えて、強烈な「嫌悪」や「憎悪」の念が感じられる。
猫田さんは、祖父母がいなかったら乳児の頃に命を落としていただろう。そもそも、猫田さんの両親のように短絡的で責任感のない人間が子どもをもうけるべきではなかったのだ。猫田さんが母親を恨む気持ちは分かるが、一方で母親と離婚後、猫田さんに会おうとしなかった父親の在り方にも疑問を感じる。
日本では昔から、離婚調停ではよほどのことがない限り母親が親権を取り、子育てに問題が生じれば、両親がそろっていても母親ばかりが責められる。だが、子どもは母親だけで産まれるものではない。女子高生が人知れず出産し、嬰児を死なせてしまう事件も然り。相手の男性が罪に問われないのはおかしい。両親の婚姻や親権の有無にかかわらず、自分の子が成人するまでは、父親も母親も同等の責任と養育する義務を負い続けるべきではないだろうか。
現在、30代前半となった猫田さんは、そううつの症状と向き合い、心療内科に通いながら「子育てを楽しんでいる」という。昨年からは、過去と決別し、前に進むために、Xとブログに半生を綴り始めた。
毒親本人に恨みや怒りをぶつけることは、毒親育ちの人が毒親の呪縛から解き放たれるためにとても有効な方法だと言われている。猫田さんが親の呪縛から解き放たれ、夫と息子に囲まれた幸せな家庭を築くことこそが、育児放棄した母親への一番の復讐となるのではないだろうか。