年下の恋人は良くも悪くも「甘やかされたおぼっちゃん」だった

「土地柄からいって、同じ吉本でも東京より大阪の本社の方がどうしても因習的な雰囲気があったようです。エイスケさんはモダン・ボーイだけに、それに堪え得られず、大学も東京の早大へ入学し、御寮さん(編集部註:母親せいのこと)の淋しがるのもふり切って東京で暮らしていたわけなのです」
笠置シヅ子『歌う自画像:私のブギウギ傳記』(1948年、北斗出版社)
吉本せい
吉本せい(写真=朝日新聞社『アサヒグラフ』1948年10月27日号/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons

「父なし子で御寮さんが眼の中に入れるほど可愛がっていたので、わがままなところもありましたが、何よりもお洒落しゃれでゼイタク屋で、仕放題のことをお母さんから黙認されていたので、身に着ける物でも持ち物でも豪華を極めていました」
笠置シヅ子『歌う自画像:私のブギウギ傳記』(1948年、北斗出版社)

母に溺愛され、金も知識もあったわがままでゼイタクなモダン・ボーイに夢中の笠置。自伝を読む限り、二人の関係は、年齢こそ笠置の方が9歳も上だが、全く対等とは思えない。

結核が再発した恋人が大阪へ帰るのは史実どおり

ドラマではスズ子がトミと早々に対面。最初は二人の交際に猛反対だったが、結核が再発した愛助をスズ子が献身的に看病したことで、黙認していた。さらに、歌手をやめるという条件で、二人の結婚を認めようとしていた矢先、愛助が喀血かっけつ

入院先に駆け付けたトミは、愛助の異変に気付かなかったスズ子を責め、愛助を大阪に連れ戻すと言う。スズ子も、自分の命よりも愛助を大事に思うトミの不安に理解を示し、愛助に大阪に戻るよう勧める。そして、愛助の帰阪前、箱根までスズ子が送る形で二人は旅行をするが……。

この旅行は、笠置シヅ子の史実通り。恋人の母の不安をおもんぱかり、自身が病気の養母と長く離れていた悔いと重ね合わせ(史実では死に目に会えなかった)、帰阪を勧めるのも史実と同じ。だが、笠置がエイスケの母と初めて会ったのは、エイスケの死後だった。

しかも、自伝によると、旅行から戻った笠置の妊娠が発覚。医師に「もうこうなったら、生まれる子供が可哀かあいそうだから早く籍の問題を解決しなければいけませんね。滴当てきとう(本文ママ)な人を立てて吉本家と交渉したら、どうですか」と勧められている。

しかし、笠置が妊娠を手紙で知らせると、神戸で公演中の笠置をエイスケが訪ねる。そして、笠置の「わては、あなたもお母さんもわても、生まれる子供も、みんなが幸福になれることを前提として一番適当な手段を講じたいと思います」という言葉に、こう返すのだった。

「僕もそう思う。僕たちの関係は、いろいろな点で即座に諒解りょうかいしてもらおうと思うのは無理だ。その認識が不充分なうちに解決を迫れば、どうしても後にさわりが出てくる。そりゃ、僕があくまで頑張れば、僕の家出を恐れて承諾してくれるだろうが、そんな割り切れない気持ちで入籍するとかえって破綻を招くおそれがある」
笠置シヅ子『歌う自画像:私のブギウギ傳記』(1948年、北斗出版社)