ゴリラが「マウンティング」をしないワケ

それは尊敬を奪うのではなく創り出せばいいのである。

尊敬という価値は誰もが今この瞬間から創り出すことができる。ためしにまずは目の前の人を尊敬してみることだ。するとその相手も尊敬で返してくれるだろう。こうして尊敬を「限りある資源」から「無限に生み出せる価値」に変えてしまえばいいのである。尊敬を無尽蔵に生み出せるようになればマウンティングは無意味になる。

このことは霊長類の生態からも示唆される。

霊長類の中でも昆虫を含む広義の動物を食べる雑食のサルは、動物というエサを得られる機会が比較的少ないことから、常にマウンティング行動をとって上下関係を確認しているとされる。そうしなければ、狩猟を終えるたびに肉という限りある資源の配分をめぐって激しい争いが巻き起こり、種の生存が脅かされるからだ。

一方で、そこら中に無尽蔵に生えている植物を主に食べるゴリラはこうしたマウンティング行動はとらない。それどころか、自分が食べている植物を欲しがる他のゴリラが周囲にいたらそれを惜しみなく分け与えるそうだ。

「イケメンゴリラ」の雄ゴリラ「シャバーニ」
写真=時事通信フォト
「イケメンゴリラ」の雄ゴリラ「シャバーニ」(=2017年04月25日、名古屋市千種区の東山動植物園)

「有限の奪い合い」から「無尽蔵の創造」へ

スイーツカフェ動物園を例にとるまでもなく、我々はみな霊長類の一種である。だとすれば尊敬という価値を「有限の奪い合い」から解放して、協働しながら「無尽蔵に創造」していけばいい。

あくまで練習として、読者の皆様が読んでいらっしゃるこのエッセイの作者を尊敬してみてはどうだろう。繰り返すがただの練習であって宣伝狙いではない。ものは試しで「これまで読んだ中で最高のエッセイ」と、この本の写真付きでSNSに投稿してみよう。私はそんな素直で心が広い読者の皆様を尊敬する(本当に)。

こうしてめでたく相互尊敬が生まれるわけだ。

といわれても、どうしても「初めに自分から相手を尊敬する」のは難しい、という人もいるだろう。自分は自己愛が強すぎるから、と、あきらめる人もいるかもしれない。だが実は自己愛の延長で相手を尊敬することもできる。むしろ次にみていくように、論理的には自己愛が強すぎる人ほど他者を尊敬してしかるべきだ。