作法や教養は「虚勢潰しの強力な武器」

日本の古都に限らず世界中にこうした「ぽっと出の虚勢を潰す文化」が存在する。

作法や教養とは要するに「何の役にも立たないことを学ぶのに膨大な時間をかけられるくらい、何世代も余裕のある生活をしてきた」というアピールだ。だから下らなくて意味不明な作法と無駄な知識ほど虚勢潰しの強力な武器になる。

このように虚勢によって尊敬を得るという目的を達することは不可能に近い。

いっそのこと「くだらない年収争いなんぞ興味ない」というスタンスで学歴と教養で虚勢を張ることに必死になる人もいる。そうした人は居酒屋の店員を相手に(専門家からすると大抵間違っている)豆知識の数々を話しちらす。そして決めゼリフは「こう見えて○○大だから」と四半世紀以上前の栄光をちらつかせる。

新宿・思い出横丁にある居酒屋の風景
写真=iStock.com/ablokhin
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あるとき実はその店員が「居酒屋からみ酒型学歴自慢人」のモノサシからして高学歴だと判明したりする。

すると以前の文化的な装いも新たに「今は少子化だから。どうせ大学受験も簡単なんだろ」と狭隘きょうあいな品性を自ら露呈させてしまう。

虚勢を張るという「手段」は「目的」に対して不合理

このように虚栄/虚勢には経営の失敗がつきものである。

虚勢を張って他人と比較し優位に立ちたいという人は、他人と比較したいがゆえに他人と自分に共通して当てはまりそうなモノサシを持ち出す。共通のモノサシがなければ比較が不可能なのだから当然だ。

しかし共通のモノサシは常に自分が一番になるような奇妙奇天烈で異形(ゲリマンダー)なものでもない限り、ほぼ確実に自分より上位の人を含んでいる。こうして、虚勢に精を出す人ほど心に劣等感を育てていく。

SNSが発達した現代ほど誰もが他者からの尊敬に飢えている時代はない。だが、ここまで確認してきたように、真に他者からの尊敬を欲するならば虚勢を張るという「手段」は「目的」に対して不合理なのである。

それではどうすればいいのか。