※本稿は、中野信子『脳の闇』(新潮新書)の一部を再編集したものです。
「かわいい」いちごが苦手
子どもの頃は、いちごを食べるのが苦手だった。当時のいちごがすっぱくて、練乳をかけて食べなければ子どものおやつとしてはちょっと、というくらい糖度が高くなかったということもあるけれど、そもそもいちごの持つイメージが苦手だった。
赤い色、女の子らしいイメージ。「かわいい」の象徴とされるようなフォルムや色彩の持つ、王道を行く感じも苦手で、どこかで敬遠するような気持ちが抑えきれなかったことをよく覚えている。いちごのイメージと、自分のセルフイメージとがあまりにかけ離れていたからだろう。極端な言い方だけれど、私が食べてはいけない食べ物なのではないか、とさえ思っていた。
これはただの食べ物の話ではない。生まれ持った性向と、育てられ方とが綯交ぜになって、メインストリームを選べなくなるという現象の話である。自分には、誰もが望みそうな王道の何かを選ぶことに大きな抵抗を感じるという特性がごく幼い頃からあり、特に母親はそれにかなり戸惑っていた節がある。人の選ばなさそうなものが好きで、人と同じであると言われることが嫌いな、偏屈な子どもだったと思う。
家族との折り合いが悪かった幼少期
もともとそういう生まれつきの性質はあったのだろう。けれども、その偏屈さは家族との折り合いの悪さから、年齢が上がるごとにますます強くなっていったのだ。
女の子扱いされることが嫌いだった。幼稚園の頃、大人になったらなりたいものに「およめさん」と書いた子を心底、軽蔑していた。子どもの思うことであるし、今はそういう風に考えることはないのでご容赦いただきたい。けれど当時の私にとっても、なぜ、そんな感情が自分に湧くのか、不思議で仕方なかったのだ。
なにかするたびに、お嫁にいけないねえ、男の子だったらねえ、と言われた。当の男の子たちは、どうも私よりはずいぶん出来が良くなくても、褒められているようだということも漏れ聞こえてきた。男の子だったら、私は、もっと違う人生を送ることができたんだろうか。誰に似たんだろうねえ、とも頻繁に言われた。