吉野さんの後悔
吉野さんにとって、仕事は楽しいもの。頑張れば頑張っただけお金や評価がもらえ、職場の仲間たちともうまくやれた。しかし子育ては、そうではなかった。
「私は、待つことができず、手を出しすぎてしまう。口を出しすぎてしまう。『こうすればいいのに』を押し付けてしまう。妹がおかしくなったとき、実家から逃げたように、辛いとき、お酒に逃げたように、できることなら、子育てからも逃げたかった。私は仕事に逃げ、お酒を飲んで、毎日をやりすごしました。私は大人だから、いくらでも誤魔化せました」
でも長女は逃げられない。本来、学校からの逃げ場であるはずの家庭に居場所がない。心を許せる友だちもおらず、不良にもなれなかった。
「逃げ場のない長女は、分厚くて頑丈な殻に自分を閉じ込めました。しかし私はその度に、容赦なく殻を打ち壊し、長女を引きずり出しました。それなのに、長女が不登校になったとき、私は、長女を守ろうとしたのです。自分がさんざん躾という名の“いじめ”をしてきたくせに。長女を最初にいじめたのは誰でもない、私自身だったのに……」
そう気付くことができたとき、吉野さんは、はっとした。「私は、長女が大事なんだ。誰にも傷つけられないで、笑っていてほしかっただけなんだ」と。
吉野さんは、以前頭に浮かんだ、『クレヨンしんちゃん』の母親・みさえと自分との違いに思い至った。
「みさえは、怒るときはとてつもなく怒りますが、度々しんちゃんに『愛している』と伝えていました。しんちゃんは、みさえに愛されていることをちゃんと知っていました。それに引き換え私は、『好きだよ』とか、『大事だよ』と長女に伝えたことが一度だってあっただろうかと思い、愕然としました。でも、『私は長女をちゃんと愛していた』。そう確信を持てたとき、『間違いに気付けたんだから、やり直せる。長女に好きだと伝えよう。そこから始めてみよう』と思うことができたのです」
自立への道
その後、長女は自分から「高校を受験する」と言い、勉強を頑張り、無事合格する。通い始めると、「友だちができた」と楽しそうに報告してくれたが、約1カ月で再び不登校に。吉野さんはがっかりしたが、「14年もの間に底をつき、ガス欠を起こしていたのだ。たった1〜2年注ぎ直したからと言って、すぐに“満タン”状態になれるものではない」と思い直し、頭から布団をかぶったままの長女に声をかけた。
「今まで、ずっと苦しめてきてごめんね。もうお母さん、何も言わないから。学校も行きたくなければ行かなくていいんだよ。好きにしていいんだよ。本当にごめんね」
すると、長女は布団から飛び出して叫んだ。
「今まで散々ああしろこうしろ言っておいて! 今さら何を言ってるの? ずっとお母さんの言った通りに生きてきたんじゃない。自由になんて生きられるわけないじゃない。どうしたらいいかわかんない。急に手を離さないでよ!」
泣き崩れる長女。吉野さんは、長女を抱きしめながら、背中をさすることしかできなかった。少しだけ落ち着きを取り戻した長女は言った。
「好きにしていいよって言われると、見離された気持ちになるんだよ。お母さんは私のことなんて、どうでもよくなっちゃったんだって思うんだよ。お母さんの思い通りに育たなかったから、『私なんてもう要らないんじゃないの?』って思うんだよ」
吉野さんは慌てて首を振り、「絶対にそんなことない。私は長女が大事なんだよ。心から大事だから、自由に生きてほしいと思ったんだよ」と言うと、長女は、「本当に?」とたずねた。吉野さんは、「本当だよ」とうなずいた。
吉野さんは、これまで誰かに感情をぶつけることがなかった長女が、自分に感情をぶつけてくれるようになったことに唯一の希望を感じていた。そして「これから自分はどうすべきか」を考えたときに、「娘たちを自立させることを目標に生きていこう」と決意する。
「アルコールや夫への依存、仕事への依存、そして、長女との共依存……。考えてみたら、母親である私自身が自立できていませんでした。そんな私が子どもを自立させられるわけがないんです。これまでも、『このままじゃダメだ』と頭ではわかっていたのに、慣れた生活や性格を変える面倒くささのほうが勝って動けずにいました。私が、変わる勇気を持つこと。これが、一番の難所でした」
吉野さんは、ようやく重い腰を上げた。