依存症患者の会

吉野さんは妹や母親の勧めで、依存症専門のカウンセラーが主催する、依存症患者や家族が集うミーティングに参加した。ミーティングの参加者たちは、自分の生い立ちを話したり、他者の経験談に耳を傾けたりしていた。

吉野さんは話を聞くうちに、参加者たちと自分に、共通点が多く見られることに気付いた。

「私はごく普通の家庭で育ったと思い込んでいましたが、違ったようです。情緒不安定な両親のもとに育ち、いつも不安と満たされない想いを抱え、心が欠けたまま、様々な物や人に依存しては、自分を埋めてきたようです。皆さんの話を聞くまで、そのことに気付きもしませんでした」

アルコールや夫、仕事への依存、そして長女への共依存は、子どもの頃から家庭で感じ続けてきた不安や、満たされない思いに端を発していた。

「母による私への過保護・過干渉は当たり前で、私と母の間には境界線がなかったのです。母にとって子どもは所有物であり、尊重されるべき存在ではありませんでした。母は、子どもを支配することで自分を埋めていました。そして私はそれをそっくりそのまま、自分の子どもにも連鎖させていたのです。浅はかでした。自分と向き合わず、考えることさえ放棄し、子どもを支配して、子どもに欠けた穴を埋めてもらっていたのですから。いつのまにか、嫌っていた母にそっくりなエゴイストに成り果てていました」

白い背景に黒いハート型の穴
写真=iStock.com/Marat Musabirov
※写真はイメージです

欠けた穴を自分で埋めるには、どうすれば良いのだろう。

「自分が子どもの頃に受けた仕打ちや言葉は、ゴミになって心の奥底に溜まっています。それを、外に出してあげるのです。ミーティングなどで、否定せずに受け止めてくれる人に聞いてもらうと良いと思います。子どもの頃に経験できなかった“自分の気持ちをそのまま受け入れてもらった”という感覚を覚えることが大切なので」

そのためには、自分自身と向き合う作業が必須だ。嫌な過去であっても振り返り、痛みを伴う記憶であっても掘り起こし、真正面から受け止めなければならない。

「不登校になった子どもだけをなんとかしようとする専門家や指導者さんもいますが、所詮、子どもをコントロールしているに過ぎません。親と子どもは別の存在であり、何ひとつ思い通りにならないのだということを、親は知っていく必要があります。親は自分で自身を満たし、考え方を変え、子どもには子ども自身の人生を歩めるように、子どもの体や心を返さなければなりません。子どもの問題行動は、子ども自身に問題があるのではなく、実は、“代々続いてしまっている親の考え方や家族の在り方に問題がある”ということを暗に教えてくれている場合が多いのです」

吉野さんは、みるみる変わっていった。

災い転じて福と成す

吉野さんが母親と妹の勧めで参加した依存症専門カウンセラーのミーティングは、別人のようになった妹が実家に帰ってきて吉野さんが逃げ出した後、母親がたどり着いた場所だった。母親は妹を治してくれる病院を必死に探し、何軒か回ってようやく行き着いたのが、その依存症専門カウンセラーが所属する病院だったのだ。妹は入院し、母親はその会に参加した。

吉野さんの母方の祖母は、母親が19歳のときに自死している。母方の祖父は中年を過ぎてからリウマチで寝込んでいたが、結婚当初からモラルハラスメントがひどく、要介護状態になってからも「介護されるのは当たり前」という態度で、祖母や子どもたちに辛く当たっていた。やがて祖母はうつ病を患い、40代で自死してしまうと、7人の子どもたちが祖父の世話をさせられるようになる。自己肯定感が低く、人の顔色をうかがう母親の性質は、祖父母のせいで身についたものだった。

依存症専門のカウンセラーは、吉野さんの母親に「思いの丈をぶちまけてきてください」と言って、祖父母の墓参りを勧めた。母親は勧められるままに墓参りをすると、そこで、祖父母に対して長年抱えてきた憤りや寂しさ、やるせない思いをぶちまけてきたという。

それからだった。母親は憑き物が落ちたように明るく愛情深い人になっていった。

夫は吉野さんと出会ってからというもの、吉野さんから執拗しつように尽くされてきたため、家の中で威張るクセがつき、モラハラのような言動が目立ってきていた。吉野さんはこれまで、夫には自分が育った家庭のことを一切話さなかったが、カウンセラーの助言を得て、夫と向き合うことを決意。吉野さんが、「本当は尽くすのが嫌だった」と打ち明けると、「そうだったの? 早く言ってくれよ。俺、騙されてたよ」と驚き、翌日から少しずつモラハラは鳴りを潜めていった。

毒親家庭やモラハラ家庭で育った人が、自分でも毒親家庭、モラハラ家庭を築いてしまうことは少なくない。その理由は、その人自身が毒のある人やモラハラ気質の人を引き寄せてしまうほかに、その人自身が側にいる人を毒のある人やモラハラをする人に変えてしまうケースもあるようだ。吉野さんの場合も、依存傾向のある吉野さんが、無意識に夫をモラハラ配偶者に変えてしまっていた。

結局長女は高校に4年間在籍したが、卒業することはできなかった。しかし20歳になった長女はアルバイトを始め、家にお金を入れるようになった。自動車の教習所にも通い始めた。絵を描くことが好きな長女は、マイペースでイラストを練習し、22歳になった現在は、アルバイトを続けながら、時々イラストの仕事をしているという。

私が吉野さんに取材を申し込んだとき、「長女に確認しますから、ちょっとお待ちください」と言われた。子どもは親の所有物だと思っていた吉野さんはもういない。「長女を尊重しようと決めたので、長女が嫌ならば取材を受けるつもりはなかった」と言っていた。

「災い転じて福と成す」というように、長女の不登校がきっかけで、吉野さんは母親との関係も改善し、夫との絆も確かなものとなった。長女が、代々続いてしまっている親の考え方や家族の在り方に、問題があるということを教えてくれたのだ。