子どものことで悩むよりも、自分のことで悩む

自分の子どもには、地に足をしっかりつけた堅実な人生を歩んでほしい。それが、一般的な親心というものでしょう。勉強しなさい、と口を酸っぱくして子どもにいうのも、もちろん子どものためを思ってのことです。

しかし、親心はおいそれとは子どもには伝わりません。そこで、いくらいっても勉強しないことが親の悩みになります。

教科書を頭にのせてふくれっ面をする子供とそれを見てため息をつく母親
写真=iStock.com/Mariakray
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こうしたケースで精神科医としてアドバイスするのは、子どものことはいったん脇にいて、親自身のことを悩みましょう、ということです。

つまり、子どもがそのまま勉強せずに育った場合を前提にした悩み方をするのです。

勉強をしなければ進学はおぼつかないかもしれないし、将来、ロクな職業につけないかもしれません。まっとうな生き方ができないことも、十分に想定されるわけです。

当然、老後になっても子どものサポートなど期待できない……。

そうであるなら、その状況の中で親自身がどう生活を支え、どんな生き方をしていくかを悩むことです。

家庭教師をつけても、子どもはサボるかもしれない

たとえば、早い段階から老後資金を貯めるとか、将来、家賃の負担がないように、マイホームを手に入れる算段をするとか、なんらかの資産運用をするとか。これなら、具体的に行動するための悩みになりますね。

子どもに勉強させるために、塾に入れたり、家庭教師をつけたりして、費用をかけても、子どもは塾をサボるかもしれないし、家庭教師の指導もちゃらんぽらんにしか聞かないかもしれません。

そこにお金をつぎ込んだばかりに、親自身の将来設計のメドが立たなくなったら、あるいは、将来の生活が台なしになったら、悩んだあげくに、子どもも親も共倒れということになりませんか?

もちろん、これは極論かもしれません。

しかし、悩み方が人生を誤らせることもあるのです。

このケースもそうですが、自分がいまとらわれている悩みが、解決につながる建設的なものなのか、解決不能だから別の悩みにシフトすべきものなのか、その検証はおこたらないでください。