心理臨床や学校現場に入り込むHSPラベル
HSPという言葉は、ブームを通じて精神医療や学校現場にも影響を与えました。
「私の生きにくさはHSPが理由かもしれない」と精神科クリニックやカウンセリングの場に足を運ぶようになった方もそれなりにいると聞きます。医師やカウンセラーに対して「私はHSPだと思うのですが、どうでしょうか?」と尋ねる相談者の姿もあるようです。
また、学校現場では、うまく馴染めていない子どもに対して、一部の保護者や教員が「HSC」というラベルを使うようになっているとも聞きます。学校現場に限ったことではありませんが、定義不明瞭な形でHSPという言葉が使用されているので、ある意味で「生きづらさにかかわる経験であれば、なんでも詰め込める便利な言葉」になっているように思います。
HSPラベルが適切な支援に役立つのであればまだしも、「生きづらい理由は気質だから病気ではない」と自己判断あるいは他者判断し、むしろ状況が悪くなるケースもあるようです。
このように、HSPというラベルを通じて支援につながるケースと、むしろ支援を遠ざけるケースの両方が発生しています。
こうした状況に対して、現場の専門家も複雑な心境です。「こんなラベル、メリットなんて一つもない。害でしかない」と主張する専門家もいれば、「HSPを主訴に来談されるのは問題ない。このラベルを入り口にどんどん支援につながるとよいのでは」と話す専門家もいます。できるだけHSPという言葉に触れないようにすることで、この言葉がこれ以上広がらないように願う専門家もいるようです。
救いに感じたとしても、そこに根拠はない
HSPブームを通じて、さまざまなHSP情報が世の中に広まりました。ブームは落ち着いたものの、言葉自体は消えることなく、通俗心理学の用語として定着したような印象さえ受けます。そして、ここまで論じたように、ブームの影響はいまもさまざまな場面で続いています。
専門家からみると、HSPにまつわる情報には、科学的根拠が薄いものが数多くあります。
「HSPカウンセラー資格講座」の宣伝文句のように「HSPは才能」「HSPのあなただからこそ伝えられることがある」といった甘美な言葉。「HSPは脳波によって診断できる」といった一部の精神科クリニックによる誘惑。藁をも掴みたい状況の人にとっては、それが魅力的にうつったり、救いに感じたりするかもしれません。たとえ、科学的な根拠がないといわれたとしても、です。
そして、HSPブームの負の側面を啓発する本記事のような情報は、おそらく一部のHSP自認者にとっては、直視したくない苦しいものであったと思います。せっかく手にしたアイデンティティーを傷つけられたような気持ちになった人もいるかもしれません。
それでもここまで読んでくださったHSP自認者の読者には、深く敬意を表したいです。この分野の一専門家として、HSPという言葉を扱う人々(自認者やその家族、支援者など)が不必要に搾取されないことを願っています。