「自分は求めていたのか」という被害者の混乱

これほど一般的とも言える考え方は、男性被害者も持っています。勃起し、射精したということは、この状態は私が求めていたものだったからかと混乱が生じることがあります。

外性器の勃起や射精は、反射的な反応です。しかし、その反応についての説明は基本的に性的快感と結びついて理解されています。実際、望んでいない状況であったり、恐怖など不快な感情を抱いていたりするときでも、射精に至る過程で少なからず性的な快感は生じます。そのために、加害者の行為によってもたらされる被害状況の内的な経験と、身体反応から生じる感覚(これも内的な経験です)の間に断絶があります。これは加害行為の結末です。ですが、当事者がそのように考えることはなかなか難しいものです。

「男らしさ」の規範があるから、男性のレイプ神話が生まれた

男性性の混乱とは、「当該文化における規範的男性像と一致していないことや、被害者自身が抱くジェンダー・アイデンティティが不安定な状態を表現しているものである」と説明できます。

規範的男性像とは、いわゆる「男らしさ」のような、男性が期待されている振る舞いのことを言います。男性のレイプ神話は規範的男性像を表したものだということができます。男性は「肉体的に強い」「異性愛」「精神的に強い」「挿入されない」「ホモフォビア」「性的に能動」といったルールを表し、レイプ神話では男性の性暴力被害をそれに沿わない劣った男の事象として否定しようとします。

宮﨑浩一、西岡真由美『男性の性暴力被害』(集英社新書)
宮﨑浩一、西岡真由美『男性の性暴力被害』(集英社新書)

規範的男性像は、素朴な基準として一般に浸透しています。当たり前のこととして社会にあるということは、男性の被害者にも男性性のルールが染み付いているということです。それによって、個別的な性暴力被害体験と男性規範のルールとの間に矛盾が起きてしまいます。この矛盾状態では自分自身に起きたことが、本当に性暴力被害と言えるものなのか疑いを感じたり、自分の性的なアイデンティティが揺らいでしまったりすることがあります。このような状態を「男性性の混乱」と言います。

例えば、ある調査では一部の男性被害者は、被害体験中の自身の性的反応について混乱や嫌悪を表現していると述べ、異性愛男性が「もし本当に自分が受けていた性的暴行がそれほど不道徳なものなら、なぜ僕は射精したのか? 長い間、それを楽しんでいたに違いないと思っていて、だから、同性愛の傾向があるに違いないと思っていた。すごく長い間混乱していたんだ」と語ったことが例示されています。