男性が「挿入させられる」という被害は想像されない

そこに被害者も自ら積極的に関与しているかのように思わせて、性を利用した暴力であること、自分の加害行為を隠そうとしているのです。なお、現行法でも勃起や射精が起きたことが、同意を示しているとは考えられていません。

異性間の関係が想定されている性交では、挿入する側として男性が想定されており、挿入される側として女性が想定されています。このことが二つ目の特徴です。この男女間の性関係において、性的能動性は常に男性のペニスに還元されます。

つまり、勃起しているなら、それは挿入したいのだ、射精をしたいのだ、という短絡的な論理です。これは、男性の身体に起きている生理的な仕組みや、感覚、感情、認識といった複雑な関係を度外視して、男性の性をすべてペニスに還元する見方です。

また、「挿入させられる」という被害の形態は想像されません。自らの勃起したペニスを入れたのだから、それは本人がしたかったのだろうという結論になってしまいます。そうすると、男性はペニスを持っているから被害者にはならないということになってしまいます。

【図表2】監護者からの被害経験
18歳未満に被害を受けた人の約1割は監護する者から被害を受けた経験がある。(内閣府男女共同参画局「男女間における暴力に関する調査」令和3年3月)

身体反応を利用するから、性暴力は人の統合性を侵害する

繰り返しになりますが、勃起は生理現象であって、本人の意思に反していても反応することがあります。そして、その反応を起こさせているのは、加害者であって被害者ではありません。通常、快感や安心感といった好ましい感情は、その出来事と感覚が一致しています。暑い日に水を飲んだときの美味しく感じる爽やかな感覚、疲れて眠るときのベッドの気持ちよさといった具合に、状況は感覚と一致して経験されることが多いです。

性暴力が人の統合性を侵害し、支配するというのは、この点からも言えます。不快な状況、逃れられない状況において加害者は被害者の身体反応を利用して、快楽を生じさせています。快楽ならばいくらあってもよいと思うかもしれませんが、それは出来事の評価と一致している場合に限ります。

男性のレイプ神話には、「男は性暴力被害に遭わない」という誤った考えがあります。これは、ペニスに男性性を象徴させて、挿入できる(そして、挿入される穴はない)能動的な存在として男性一般を見なすことで作られています。あえて問題化しなければ気づけないほどに、男性の性はペニスに還元されています。このような象徴性は現実に流布されています。