弱さの中の力とはなんだろう

キリストの言葉のように、恵みは十分に与えられています。そして、誰もが弱さの中でこれまで自分なりに努力し、力を発揮してきました。

その恵みに感謝しながら、ふと歩みを止めて、「弱さの中の力とはなんだろう」と振り返る余裕を大切にして生きていってほしい。

そういった思いを込めて、学び舎を旅立つ生徒にこの言葉を贈るのです。

宗教の授業では、さまざまな聖句を学びますが、あとで印象に残っている言葉を聞くと、この言葉を挙げる生徒が多くいます。自分自身と向き合いながら、受験生活を送ってきた心に響くのかもしれません。この言葉が、生徒だけでなく、読者の皆さんの力になることを祈るばかりです。

輝く十字架を手に持つ若い男性
写真=iStock.com/ra2studio
※写真はイメージです

完璧でなくてもいいという優しさ

完璧でなくてもいいと自分自身にいってあげるのも、またひとつの優しさだと思います。私自身、そう自分にいい聞かせることで救われてきました。

もともと不器用な私は、あちこちにぶつかり、時には、周囲に迷惑をかけながらなんとか進んできました。とくに、育児中の失敗談には事欠きません。

母は私が23歳のときに病気で他界していたので、初産後は夫の実家で過ごし、家に戻って子どもと2人きりの生活がはじまると、いろいろな感情が湧いてきました。

子どもをかわいいと思う半面、早く仕事に復帰したいと願う気持ち。そして、「せっかく休みをもらって育児に専念できるのだから、しっかり母親業をしなければ」という思い。子どもとの幸せな時間を過ごしながらも、ジレンマを感じる日々でした。

仕事に復帰してからも家事をこなせず、苦痛が増えるばかり。

幸い、職員はどんなに忙しくても午後7時には退勤するのが学校の方針でしたから、保育園のお迎えはどうにかなりました。しかしその分、子どもを寝かしつけてからもち帰った仕事をこなすので、時間は常にありません。

うっかりレシートを入れたまま煮たシチューを夫が食べて、「なに、これ?」といわれたこともあれば、おでんを焦がしたこともありました。疲れ果てたときは夕食後の片づけもできず、朝起きてそのままの流し台にうんざり。猛スピードで家事を片づけて、子どもたちを保育園に送り、髪を振り乱して職員朝礼に遅刻して参加……といったこともありました。