日常生活に潜む社会通念や行動規範、ジェンダーによる呪縛
「孤独」に関連して、ここで「トキシック・マスキュリニティ(Toxic Masculinity)」について触れておきたいと思います。
この言葉はアメリカで近年よく使われるようになったのですが、日本語では「有害な男らしさ」と訳します。
「有害な男らしさ」は、伝統的に男性は「強くなくてはいけない」「リーダーでなければならない」「仕事では昇進しなければならない」とされる行動規範のうち、男性性のネガティブな面に焦点を当てています。
「強くなければ」と思う反動として、不安や悲しみという「弱い」と分類される感情を抑圧したり、助けを求めることを妨げたりしてしまうこと、男性優位でなければならないという価値観から女性への性差別が助長されたり、タフさを求められることで他者への暴力につながりやすかったりするといった有害さが指摘されています。
賞賛がほしい、力がほしいという気持ちが強い場合、ストレスがかかったときに、他者との対話を通して理解や共感をすることで解決しようとせずに、攻撃的になり、言葉の、あるいは身体的な暴力という手段に出たり、他者に過剰なリスペクトを求めたりするという方法を無意識に選んでいることがあるのです。
または、自分の弱みをシェアできない、弱みに向き合わずに無理なユーモアや怒りに包み込んで隠そうとするといった振る舞いも典型的です。こうした行動は孤独を助長し、抱えている問題の本質からもそれてしまうリスクがあります。
社会の中にある無意識の偏見から生まれる「有害な男らしさ」は、周囲の人たちにとって脅威でもありますし、それ以上に男性自身をも苦しませることになります。
それへの対処として、その人らしい生き方を妨げる社会通念や行動規範、ジェンダーによる呪縛は日常生活のいたるところに潜んでいるということを少し意識するだけでも、物事の捉え方を変えていくきっかけになるのではないでしょうか。
「自分の弱さを見せられる人が、本当に強い人」
もし、自分の弱みをなかなか人に出せないことを悩まれている方がいらしたら、それをすべて自分のせいだと思わないでほしいのです。私たちは社会の中で生きていく上で、実はさまざまな期待とプレッシャーを受け取って生きています。
女性だから、男性だから、というジェンダーステレオタイプに基づくプレッシャーもありますし、さらに「心の苦痛を抱えるのは恥ずかしいことだ」というメンタルヘルスに関わる社会の偏見もあります。それが個人の認知に影響しないわけはないのです。
最近では、日本ラグビーフットボール選手会と専門家が共同でメンタルヘルスの啓発プロジェクトを行うなど変化も起きているようです。これは「よわいはつよいプロジェクト」というのですが、公式サイトではトップアスリートの皆さんのつらかった思い出や、メンタルヘルスへの思いが率直に綴られています。
「強い人間を演じることで弱さを必死に隠していた」
「エースなのに怖かった」
「オリンピックに行けなかったら、私にはなんの価値もないと思い込んでいた」
「大切なのは自分の『弱さ』を隠さず理解すること。周りに伝えていればお互いに助け合える仲間ができて、さらに力を発揮できる」
「人と繋がりを感じる時っていうのは弱さを共有できた時なんじゃないかな」
このプロジェクトは、体と同じように心の健康についても前向きに考えて積極的にケアや治療をしていこうと呼びかけています。
子どもでも大人でも、「強くなくてはならない」とプレッシャーがかかる男性や、屈強なアスリートでも、弱音を吐けないことに悩み、心が苦しくなることはある。それを知ってもらうことで、精神疾患に対する偏見や誤解をなくしていくことを目指しているそうです。
「自分の弱さを見せられる人が、本当に強い人」といったメッセージに勇気づけられる方は多いのではないでしょうか。ケアや治療につながる心理的抵抗を低くしてくれるという意味でもとても素敵なプロジェクトだと思います。