メルケル首相「希望者を全員受け入れる」
地中海を小舟で渡る難民たちは、しばしば舟が転覆して犠牲者を出します。とりわけエーゲ海で遭難し、トルコの海岸に打ち上げられた3歳のシリア人男児の遺体写真が世界に配信されると、「難民を受け入れなければ」という機運は高まりますが、各国とも準備が進まないままでした。
このときドイツのメルケル首相は、難民希望者を全て受け入れる決断をします。メルケルは敬虔なプロテスタントのキリスト教徒。キリスト者として難民の苦難を見逃すわけにはいかなかったのです。結果、2015年から16年にかけてドイツで難民申請をした人は120万人を超えました。
ハンガリーでEUに入った難民は、ハンガリーでは難民申請せず、オーストリアに入り、そこから鉄道でドイツに運ばれました。
ドイツ国民が歓迎した背景にナチスの影
当時、私はこの様子を取材しました。オーストリアのザルツブルクからドイツのミュンヘンに行く国際列車は、車両の一部が難民専用車両に指定されました。終着のミュンヘン駅では、まず一般の乗客が降ろされ、その後、難民たちが待ち構えていたバスに向かいます。バスに乗る前には健康診断を受けることもできました。そこで私が驚いたのは、大勢のドイツ人が難民を歓迎するために集まっていたことです。
ヨーロッパの他の国が難民受け入れに難色を示していたのに、歓迎する人たちが大勢いたからです。難民の子どもたちのためにおもちゃを持参する人も見られました。
EU諸国が難民の存在を迷惑視する中で、なぜドイツは難民を受け入れたのか。そこにも過去のナチスの影がありました。ナチスはユダヤ人を虐殺する前に、まず少数民族のロマ人(かつてはジプシーと呼ばれたが、これは差別語であるとして現在は使用されない)を収容所に入れて虐殺することから始めました。
ドイツ人は、子どもの頃から学校でこの歴史を習っていたため、アラブからの難民を受け入れなければならないと考える人が多かったのです。彼らはメルケル首相の決断を支持しました。
メルケル政権は、ドイツの各州に、そこの人口とGDPに比例する数だけの難民を割り当てました。各州の企業は自発的に空き倉庫を難民キャンプとして提供したり、アパートの空き部屋を州政府が借り上げて難民を収容したりしました。難民申請中はドイツ国内で働くことができないので、毎月生活費も支給。ドイツ語教育も無料で実施しました。少子高齢化が進み労働力不足に悩むドイツは、アラブ人を「良きドイツ人」にするために受け入れたのです。