「ジャニーさんがメンソレータムもって部屋にくるの…」
合宿所に出入りし、将来ジャニーズ事務所からのデビューを夢見ていた小学3年生の男子が、北公次にこんなことを漏らしていたのだ。
「ねえ、おとなのおとこの人ってみんなあんなことやるの? あのねえ……ジャニーさんがメンソレータムもって部屋にくるの……。みんなあんなことやってるの? ぼくいやだよ、あんなこと……。きもちわるいよ」
北公次は自分以外に被害者がいることに、あらためて複雑な気持ちになったが、誰かに訴えようというところまでは至らなかった。
暴露本『光GENJIへ』(データハウス)で洗いざらい打ち明けるまでは。
本気でジャニーズ事務所とやりあうつもりでいるらしい
「公ちゃんですね。お待ちしておりました。村西とおるです」
バンダナを巻いた北公次は腰かけるとサングラスを外した。
1988年7月28日午前9時。
北公次と私たちの最初の接触だった。
北公次は自身とは正反対に物事をまくしたてる村西とおるに最初は不安を感じた。
ところがよく話を聞いていると、この男は本気でジャニーズ事務所とやりあうつもりでいるらしい。これだけ知名度のある男なら、いまさら売名行為のために敵対する必要もあるまい。
相手に有無を言わせぬ迫力がある男だった。東京に帰っても何もすることのない北公次は、村西とおる監督のアドバイスを素直に受けることにした。
北公次はアダルトビデオの男優にでも誘われるのかと思っていたが、村西とおるのあけっぴろげな性格を信じてみることにしたのだ。